青臭い正論
私はこのITやらが苦手で、なんとかPCを使っているのも、スマホを使っているのも、この仕事をしていればこそ・・
なのです。
もともとが古い人間なので、手紙は自筆、メモはかならずメモ用紙に殴り書き、というのがいまだに定番です。
原稿も自筆にしていたのですが、これはワードで打ち込むことの便利さと正確さを見せつけられ、その軍門に下りました。
まったく、情けないか限りです。
ま、この程度の矜持ではありますが、自分なりの基準は持っております。
こんなに長く生きておりますと、新しい文明が過去の実績を「遺物」にしてしまう結果はたんと見ております。
世の中はAI時代に入って、人間の仕事が片っ端から、AIに取って代わられています。これを時代というなら、仕方のないこと
ですが、こうしてどんどんAIが進出してきて、人はいったいどこで、どの場所で働くというのでしょうか?
人はそうやって、自分の居場所をどんどん削っていって、どこに自分の存在価値を見出すのでしょうか。
働くことは人の営みの大部分であってそれは辛いことも多いかもしれないけれど、達成感や充実感、幸せ感を感じさせて
くれることもあります。辛いことが多ければ多いほど、その達成感にはしびれるほどの快感が付いてきます。
今の世を生きる、多くの彼らはこの快感の痺れを味わったことがあるのでしょうか?
私の言っていることが綺麗事だと思いますか?
そうかもしれませんが、あなたたちの周りに、こんな綺麗事を滔々と述べる大人はいますか?
現実を語り、現実を見せる大人はたくさんいるでしょう。それはそれで大事なことではあります。
でも、現実は多かれ少なかれ、これから見ます。ぶち当たります。跳ね返されたり、飲み込まれたりします。
その時、先に見える灯りのことを、聞いているかいないかでは、その場を脱出する手段に差が出るのではないかと
私は思うのです。
人は危機から脱出するとき、より多くの方法を持っている人が生き残ります。理想論でも、綺麗事でも、より
高めを目指す人が生き残ると私は思っています。実現するか否かは、その次の問題です。
ああ、また話が逸れてしまって申し訳ありません。
そんな体や心で覚える仕事の多くをAIに取って代わられて、その職を失った多くの人たちはどこへ行くのかと、それが
案じられるのです。
私なんかが、案じても仕方のないことですが、この国の政治家さんたちは歴史的に、われわれ庶民の暮らしは顧みては
くれません。これは長く生きている市井の者なら誰でも経験上知っています。彼らは自分の所属するグループと
自分と自分の係累が一番大切なのです。それらを守るための施策が一番なのです。
私たちは、私たちの中で生きがいや、志や、希望や勇気を伝える術を持たなければなりません。
この、へそ曲がり魔女相談員は、たまにはこんな真面目なことを、大上段に振りかざしたくなるのです。
まだまだ、若いでしょ?
え? それが年寄りの証拠・・・
へぇー。こんな青臭い正論を周囲にかまわず吐き散らかしている元気な老人なんて、ついぞ見たことはありませんけどね。
あなたより老人が物理的に年々減少しているからではありませんか? ←(カゲの声)