そして地震はやってくる
一日や二日たって状況がそう変わるとは思えませんが、珠洲市の惨状はなかなかに
改善されないようです。
地震に正月も団欒もないし、こうして自然災害は繰り返され、泣いて後悔して同情して
反省してと・・いつまで続くのでしょうかね。
無知高邁なおババの戯言とお聞き逃しくださっても全然かまわないのですが、こんなニュースを
見る度に、日本の地震研究はどうなっているんだろうといつも思います。
確かにアラートは鳴ります。でも鳴った時はもうすぐそこ。
揺れる家屋敷にも、津波にもなすすべもなく身の安全は自分で確保して、その衝撃に耐えるだけ。
押し寄せる白い波に恐怖を感じても、それを必死に実況するアナウンサーの声も、そこには届かないし
押し寄せる波をどうすることもできません。
この無力感をなんとかする術は本当になにもないのでしょうか。
太古の昔から地震に苛まれ続けた日本の近代の備えがこれでは、あまりの敗北感ではありませんか。
極論ですが、どんなに最新の兵器て゛武装しても、空飛ぶ車が跋扈しても、この一回の地震の前には
なんの意味もありません。
そんなお金はすべて地震や天災への研究と実行に費やする・・ぐらいの政策を掲げる無謀な政治家は
いないですかね。・・いないですよね。いないです。
個々の手に電話があって、東京と名古屋をあっという間のリニアが運航して、宇宙には部屋の中の
ヒトの顔まで識別できる探査機が飛んで、戦争ですらドローンが活躍する時代ですが、
もうそれくらいでよくはありませんか。
もうそういう便利なモノは満ち足りています。それよりも、今あるこの幸せを根こそぎ奪っていく
ものに対応する方法と手段を講じるためにその知能と財力のすべてを賭けませんかと提案したら
もの笑いの種になりますかね。
津波の波を打ち砕くような電磁波(ここいらは、昭和の発想です)。海底プレートのずれを緩める
クッション的なものを開発する。
なにより地震情報をもっと早く感知報告することができるモノを作る。せめて一日前にでも
周知できたら、死亡者数は劇的に減るはずです。
被災者には当該地でなく周囲からの支援が速やかになされ、復興住宅や避難場所についても、その都度
よりよい方法を選択できるシステムを構築するとか、災害は来るという前提で、しかもすべての人が
それに該当するという前提であれば、そういう教育もできるでしょう。
でも、それを実現しょうと思ったら、極論ながら防衛費の増加とか、オリンピックや万博なんて浮かれて
浪費している場合じゃないんじゃないですか。
誰もがもし被災しても、立ち直れる国。原発なんてなくても、宇宙衛星なんてなくても、そんな国の方が
他所に誇れるし、他所からも尊敬されるのではありませんか。
これは夢物語かもしれませんが、かつての夢物語が実現したことを、私たちは知っていますよね。
夢はみなければ叶えられないことも知っています。
今、地震研究の立場にいらっしゃる方には「おババ笑止!」と断罪されるかもしれませんが、
まだ残された時間を使わないままに散った被害者の方々の不運を思うと、せめて夢物語でもと
思わずにはいられないのです。
今年の幕開けは、こんな夢物語で始まるのでしょうか。。。