不幸せの向こうにあるもの
秋も盛りの今、わが友人夫妻は奈良の「正倉院展」を楽しんでいます。
鹿と戯れる写メに「いいね」とコメントを送ると「快晴と言ってくれ。」と返信がきました。
まさしくその通り、天平の甍の上は青い空に真っ白な雲が漂って、朱色の鳥居の下から冠を
揺るがせて奈良の官吏が三々五々と歩いていそうな雰囲気です。
うちの雨女と娘と競合しても絶対に負けないと豪語する「晴れ男」立派です。さすがです。
こんな人もいるのに、本当に不運な人というのもいます。特にこんな仕事をしていたら、
不運の上重ねの方に時たまお会いします。それがまた、案外ご本人は気付いておらず、しなかやに
受け止めていたりして、人間は本当に不思議です。そして愛おしい。
弊社はリピーターが多いと前にも豪語しましたが、この方もその一人です。
良家に生まれ育って、聡明で知的な美人なのですが、なにしろ男運が悪い。
最初の相談に来た時の相手は、仕事もせずに夢ばっかり語る学習塾の先生。確かに顔はいいし背も高いですが
東京で一緒に雑貨屋さんやろうよと誘うなんて、なんで?と思いませんか。普通なら・・
その男には二股の女がいました。女は風俗嬢で男も女に騙され、その男は、彼女を騙して・・という悪の連鎖。
次は同僚。バリバリ仕事ができて後輩に慕われ、上司に信頼されている。趣味にお金をつぎ込むので「お金が
ない」が口癖だけれど、デートでは必ず払ってくれる。ラーメンだけど。
不愛想だけど、時々示してくれる優しさに心持っていかれちゃったんですね。
ところがこの男。よーく調べると究極のバワハラ男。後輩に慕われていたのではなく、力と恫喝で言いなりにして
上司にはへつらいという典型的な「やな男」これが、男前に見えちゃったんでしょうね。
生まれながらの「お嬢さま」には。よくあることです。
昔ありましたよね。「愛と誠」今は亡き西城秀樹さんがすごく恰好よかった時代です。(古すぎます?)
あのバージョンそのまま。
そしてまたまた次は妻子持ち。これはいけません。
これは相手がどんなに素敵でも、男気があろうとも、相手にしてはいけません。
絶対に手を出してはいけない相手なのです。
ドラマや映画でよく歯の浮くようなセリフいいますね。「僕たち出会うのが遅かったんだ。」と
男が女の肩を抱く。その二人に紅葉がはらはらとこぼれる。
はーい。カット。
もうそこで終わりにしましょう。責任ある男なら、真実愛に生きる男ならここでやめます。
自分の区切りを付けてから、再び彼女の愛を確かめます。
それまで待てないのは「大人の愛」とは呼べません。
大人の愛は待つことです。残された時間がなんやら・・という方もおりますが、人の不幸の上に建つ
幸福の城はありません。残された時間が少なくなることは仕方ありません。
自分の大事な時間を犠牲にしてでも、得たいものがあるのですから。
そのもののために、自分の大事な時間を捧げるのは、ある意味当然ですね。
私は魔女相談員ですから、甘い言葉は言いません。優しいスパイスも時に少しだけ。本音と見栄で
生きておりますから、彼女に囁きます。
「あの男はやめなさい。妻ある男を取り合っても、後からの方に勝ち目はありません。
彼が身ぎれいになってから、それが判ってから始めても、決して遅くはないですよ。」
仮に彼女が100歳が来ようとして、彼は離婚したけれどその残された命があと一日であったとしても、彼を手に入れるのは
その一日だけにしましょう。
その一日は、不倫と呼ばれる百日よりもずっとずっと幸せです。