「セクシー田中さん」に黙とう

2024年01月31日

「セクシー田中さん」がこんなに炎上しているとは思ってもみませんでした。

そもそも私は「ツイッター(現在はXというらしいですね)なるものを見ません。

仕事上は利用したほうがいいと思うこともあるのですが、最近の社会現象の多くが

たいていここから発症していることを考えると、なんの利があるのかと思っています。

尤も、私は他人の目や、世間体というものの存在を忘れているんじゃないかと言われるほど

マイペースで生きている人間ですけどね。

 

私はこのドラマ好きでした。

原作漫画は見ておりませんから、比較はできないのですが、亡くなられた作者の方が

最終話のシナリオをご自分で書かれたことを、随分後悔されたようにお書きになって

おりますけれど、私はあのラスト好きですね。

それまでの過程が恋愛至上主義をコミカルに描きながら、ラストはそうではないという

設定は斬新で女性の気持ちを本心で推し量ったら、こうなるのもありかと納得したものでした。

 

どのドラマも映画も作者の意図や意志を正しく反映させているかと言えば、そんなことは

ないことは周知のことです。

あの名作「砂の器」とて、正直言ってさすがの松本清張氏も脚本家橋本忍氏の「技」を

認めざるを得なかったと、私は思いますよ。

昔、角川映画のフレーズで「視てから読むか、読んでから視るか」ってのがありましたけど

原作ものの映像化というのは、そういうものではないでしょうか。

 

例えが叱られるかもしれませんが、産んだ子を誰かに育ててもらって違う幸せが

得られた時の幸福感を、原作者は感じることはないのでしょうか。

私は一読者として、原作を読んで、そのあと映像化されたものを見て、その違いを

見つけたり、新しい感動を得たりしたら、すごく得した気分になりますね。

仮に、気に入らなければ、原作の良さが改めて思い出されるわけですから、読者的には

それもお得ですよね。

 

亡くなられた方に鞭打つつもりは全くありませんし、敬意は当然のことですが、クリエーターと

しての矜持の高さの前に、今一度読者の気持ちももうひと越え慮ってほしかったと

残念には思います。

作品になった以上、それは作者と演出者だけの問題ではなくて、その中に読者という

存在も入れてほしかったですね。

 

そして何より、許せないのは、そういう事象に我先にと小手先の正義感で誰かを

糾弾したり貶めたりする第三者です。

本当に、作品を愛する人はこう時に、何も語りません。おおいなる才能の消失と誤解と

交差した思いの罪に、深く嘆くことしかしません。

どうか、これ以上の才能を、外野の無知蒙昧な攻撃と拙攻で摘んでしまわないようにして

ください。

あなたの才能は、こんな狭い処だけで語られるのではないと、この作品の関係者の方に

声を掛けたいくらいです。

もうすぐ春です。道端には水仙も咲いています。明日は必ず来ます。

社会は暗くても、政治は腹立たしくても、あなたの明日はあなたのものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・合掌。。。

 

 


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