叔母の葬儀で・・
先日私の叔母が亡くなりました。
誠に僭越ながら高倉健氏と同じ年生れなので大往生というほどの
最期ではありました。しかも前夜家族が声をかけて、朝には亡くなっていたという
ある種の「大往生」
尤も、こういうことですから、警察も来て検視やらなにやらの選択もあって、家族は
右往左往したらしいですが。
その夜、私は通夜に参りました。
長い年月の間には様々なことがありましたが、子供時代には可愛がってももらいましたし
表だって、争いがあったわけでもありませんが、疎遠になっていたことは確かです。
私が斎場に行くと
その叔母の連れ合いが「お、お母さん! 〇〇が来てくれたよー」と大音声。
いやいや、そりゃ来るでしょ。聞いたんだから・・
ここでもご披露していますが、私は基本ご葬儀には参列しないことにしています。
これは私の中の決め事で、それで私という人間を評価されてもやむ得ずと思っています。
最愛の人との別れに同席して、誰に何が言ってあげられましょうと思った時から決めました。
しかしながら、私とて世間並の常識と判断があります。
もう自分の意志と決断に固執するようなことはありません。
この叔母の時のように。叔母は私の父のときも母の時も来てくれました。夫の時も来て
くれていたと思います。(あの時のことは殆ど覚えておりません)
従兄たちも昔の人間ですから、ここは通夜だけでも顔を見せておこうと決め、参りました。
叔母は思ったより穏やかで安らかで、亡くなった祖母(叔母の母)によく似た、それでいて
随分と穏やかできれいな顔をしていました。
対面のあと、私がお茶の用意をしょうと台所にたつと、叔母の息子で私と同い年の従兄が
近寄ってきて「昨日は元気だったんや。お休言って二階に上がって、夜中の11時ごろ
おとうさーんって声が聞こえて・・」
ここでぐずりと泣きはじめます。
「よっぽど、あのクソ親父のことが心配だったんや。あのクソ親父は母さんに迷惑ばっかり
かれて、最期まで心配かけて、あんな奴と一緒になったから、ずっと苦労して。」
と、言う頃にはもうグダグダ。
確かに、その通りではあるのですが、夫の賭け事で夫婦喧嘩して、うちの父に泣きついて
きたことを私も知っています。何度もね。
その度に父に説得されて、夫婦を続けていた人です。もうこんな年になって、今それを言うか。
ならば、なぜあなたが母親に離婚せよと迫ってさせなかった?
と、言いかけた自分を私ぐっと堪えました。
「そんな事言うてやったら、おじちゃん可哀想やろ。」一応の常識的反応を見せておきます。
「うちのお父さんやて同じよ。お母さんに心配や迷惑かけて、お母さんはそのままよ。」
と、続けると、従兄は「いや、おじさんは違う。あんなクソ親父とは全然違う。
おばさんにも優しかった。」と言うのです。
いやいやいや・・あんたこそ何もしらんやないかと、思わず口にするところでした。
こんなところで、父親の人間性について従兄と言い争ってどうする・・と、自分を
宥めました。
そして彼(従兄)の思いとは裏腹に、お通夜は賑やかに終始しました。
叔母の長男一家は現れないままに葬儀を取り仕切った次男の穏やかな性格のせいか
久しぶりの親戚の集まりという感で一杯です。
私に愚痴ったのは三男です。
「〇〇、よう気が付くな。」と、私の持参した巻き寿司を頬張りながら次男が言うと、
次男妻も遠慮がちに手にしています。彼女が一番大変だったはず。
「そりゃあ、葬式慣れしてるもの。あなたらとは熟した回数が違うわ。」
私的には受けを狙っていましたが、誰も笑わず。
娘からは、あれはド・ストライクで笑えんわと言われました・・
・・・・・失策・・・・・・
この従兄のセリフを息子に告げると
「そりゃあ、親やからね。そういう気持ちは判るわ」と言うのです。
「あら、あなたとも私の葬儀の時、誰かにそう言うの?」と聞くと
「いや、オレは言わないやろ。あなたの子やからな。」
・・・・・そ、それは、どういう意味なのでしょう・・・