彼岸の向こう側
暑さ寒さも彼岸までって言うのは嘘か!と、一人毒づいています。
外はしとしとと雨が降り続け、時折青空を見せるものの、強い風のせいか気温は上がらず
冷たい空気がどよーんと降り立ったまま、梃子でも動きませんとばかりに居座っています。
春分の日はあまりの悪天候と寒さに、お墓参りを延期した私でしたが、周囲の友人たちはそれでも
季節の守り事は遵守したようで、その日のラインに次々と「実家の墓参り済ませました」と
届くのを、尊敬の気持ちをこめて返信しておりました。
お彼岸に墓参りしないことを、深く意識していなかった頃もありますが、近年は墓参すると
周囲を見ます。
今回のように、春分の日を少し遅れて行くと、周囲のお墓の多くはすでに献花がなされていて、
お花畑のように華やかです。
それを見ると、稀代の親不孝者の私でも、出遅れたことをちょっと申し訳なく思ったりもします。
元来が見栄っ張りの性格なので、華やかな花束を作ってもってはいきますが、それは外見上のこと。
一輪の花を日々挿しに訪れる孝行者にはとうてい敵うものではありません。
もっとも、もうすぐ私も行くからね、近々の同居をご挨拶に行っているのかもしれませんけどね。
私は実家の墓に入る気は全くありません。
ここは、私の父が作った物で、父の養母、実母、妹が二人、従姉と、父本人と母が入っています。
母は生前、ここには入りたくないと言っておりました。
そりゃあそうでしょう。母と姑(私の父の母)のバトルはなかなかのものだったらしいですし、
私が気付いた時にはもう別居していましたので、そういう凄惨バトルを私は知りませんが、
祖母の晩年を見取り、最期の始末をしたのはその母(私の母)です。
そんな祖母が先に居座るこんな狭い空間に、もう一緒にはいたくなかったのでしょうね。
父の手前、表立ってそう言う事はありませんでしたが、こっそり私の息子には告げていたようです。
彼はそれを律儀に守り、別に墓を建ててと考えていたようですが、無信心で無情で、
超合理主義の母(私です)に阻止されて、いまはひとまず母の骨もここに残っています。
彼が将来、私の墓を別に建てることになったら、その時はここから母の骨を出して、私の処に
入れてと言ってあります。
尤も、私は骨は「モノ」と思っておりますので、散骨でも樹木葬でも、合祀でもなんでもあなたの
好きにしてくださいと言っております。
今までの親子関係からして、これが私の本心であることを、子らは知っていると思います。
その上でどうするかは、もう彼らが決めることです。その時に彼らの祖母の骨もどう決着つけるか
決めることでしょう。
ヒトは死してもなかなか、終の居場所を決められないものです。
でも、こんなに自由に生きた私に比べて、母の人生はどれほど窮屈で忍耐と諦めの日々だったかと
思うと、せめて最期は自由にしてあげたいなとは思うのです。
年を経るごとに、母のことを思い出します。
愛おしくも、慕う気持ちも、あんまり沸きませんが(笑)、ただ母が生きていたら、どうだったかなと
考えることは増えたような気がします。
例えば、私の息子のいる東京に、しばらく一緒に暮らすようにしてあげたら、きっと
喜んだだろうな・・とか。もちろん私も、彼女の夫であり私の父も抜きでです(笑)
こんなことを考えている時間は案外楽しいです。
でも、母のことはこんなに想像できても、父の事は全く思い出しもしない私は、やっばり
私です。このちょっと歪んだ性格は変わりようがありません。
それでも、こんな自分を嫌いではないと言えば、ナルシスト!と呼ばれるのでしょうか。。。