佐賀行

2024年04月04日

先日、家人の実家に行ってまいりました。

佐賀県の田舎の町で、失礼ながら「ド田舎」という言葉があんなに似合う地域はありません。

なので、固有名詞は避けます。・・その地域から総すかんを受けそうなことを今から認めるので・・

実家は祖父が元の家を壊して建て直した家で築浅とは言えませんが、有名ハウスメーカーのもので

メンテナンスもしっかりしております。

昨年の今頃、ここを下見にきてくださった師匠夫妻も、いつでも使えるようにちゃんとしてるよと

言ってくださっていたので、私たちはみんなで遊びに使う気満々です。

 

行く日の前日に、地元の水道局から「どうも漏水しているようです」と知らせがありました。

あらら、、やっぱり使ってないと傷むのよねーなんて他人事のように言っていた私。

使ってダメなら水道屋さん呼ぶ?  なんてお気楽なこと考えていました。

家人は、行くのに時間かかるから途中で一泊しょうかと提案しますが、寝るだけに特化したホテルで

家人が選んだホテルなんて、どんなもんか簡単に想像できます。

「そこはいやよ。そこしかないと言うならもうそのまま行きましょ。一晩なんとかしたら、次の日

水道屋さんきてもらえるんでしょ。」

・・・・・これが誤算。甘すぎる見通しでした・・

 

ちょっと仕事をして、そのまま現地に行きました。

その日は目の前が確かめられないほどの濃霧。フェリーで渡って乗った高速道路のSAでは「今日は

朝から濃霧で通行止めだったんで、仕入れができてないんですよ。」とメニューはふたつだけ。

出足からやな予感。

 

で、なんやかやで高速降りたのが21:50

明日の朝ごはんとか買って行こうよと、途中でスーパーに・・・あれれれ

スーパーがない。ない。ない。

なんと五年帰らぬ間に、スーパーマーケットはなくなっておりました。

やっと到着した我が家。今風に言うなら義我が家ですかね。

点灯確認してから家に入ります。

全体にかび臭くはありますが、お隣の方に管理をお願いしているので、そう気には

なりませんが・・

でも、やっぱり水がでない・・

「悪いけどこれで顔洗ってよ」と家人が洗面所に置いたバケツを指差します。

 

これって・・これって・・

二日前に墓参の時、お墓の周りの草や石を拾って投げ込んでいたあのバケツです。

それに溜まった水で顔を洗えと。コンタクトを洗浄しろと。

「トイレはどうするのよ。」怒りを込めた冷静な私の声の冷たい響きを家人は感じる余裕も

ないようです。

「ここに水くんであるから、言ってくれたらボクが流すよ」

・・・ここで私の冷静袋が裂けました。

そんなことができるわけないでしょ。何考えてるのよ。第一そのバケツ、三日前にお墓の草抜き

してそれ入れてたやつよね。それで顔洗えと??

機関銃のようにまくしたてながら、二階に上がります。

階段の正面に布団入れ。ぎっしり入っています。

どれもシーツが綺麗に罹っていますが、なにしろ五年そのままです。樟脳が、樟脳が・・

くらくらしてきました。

これで寝れるわけないでしょ。

 

リビングに降りて私はここで、このソファで寝ると宣言しました。

布団もいらない。今夜は持ってきたショール掛けて寝る。

そんな私をリビングに取り残して、家人はベッドの個室に消えたのです。

この私をそのまま残して。

 

なんてやつ・・明日はここを出ようと思いました。

ここに来るまで「具合がわるけりゃ、どこでもホテル取ろうね」なんて言ってたのは

全部嘘か。

今夜のここまでで、家人が宿を取ろうと言ったことは一度もありません。

寒くて、暗くて、ちょっとした恐怖感の夜は長かったです。とても眠れたものではありません

でした。

不眠・・私には無縁のこの言葉が重くのしかかってきます。

こんな最低の夜から、私の佐賀行は始まりました。

一夜として心から眠れず、寒さと肌に感じるささやかな恐怖感と戦いながら、それでも

私から別の宿を取ると言わなかったのは、いままでの家人の母に対する不義理の思いからです。

私は、私の生き方ですが、それを黙認していてくれた家人の母には、感謝しかありません。

その感謝から、耐えたのです。

そしてそれは、長い長い佐賀行の始まりでした。

そして、私はこの家に受け入れられてないとしみじみ知った佐賀行でした。

ここで書き連ねるときりがありません。

この旅日記は個人的に残してあります。もし、ご興味のある方は、個別にお申し出ください。

ただし、決して面白いものでも、楽しいものでもないことはお断りしておきます。。。

 

 

 

 

 


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