春の味覚

2024年04月25日

仕事の在り方を変えたこともあって、私のプライベート時間は大幅に増えました。

最初のころは、こんなにお暇でいいんかい?なんて思っておりましたが、時間というものは

不思議なもので、あればあるように、無ければ無いように使えるものです。

まず第一に、時間のかかる料理ができるようになりました。

煮びたしであったり、煮物の味染み。一夜漬けに煮込みなどは、ちょっと前まではとても

叶わぬ事でしたが、いまはよく作ります。

私は料理上手ではないですが、外で食べることが多く、いろいろな味に触れてきました。

それが今の味覚になっているような気がします。

たまに失敗もありますが、概ね思った通りの味に仕上がっているとは思います。

 

家人はそんな私の料理を手放しで褒めますが、私は胡散臭いと思っています。

鯵とさごしの見分けもつかず、鰆の味噌漬けと鮭の西京漬けも区別できず、熱いものと

冷たいものを供すれば、冷たい方から食べてみたりする男です。

味覚が正しいとはとても思えない。

しかも、酒飲みの常で、だらだらと食べ続けるので、初めにいくら手をかけても、最期の方は

美味しいはずがありません。

揚げたての天ぷらを供した時に、ジントニック作ろうと席を立ってライムを切り始めた時には

殺意を覚えました。

 

そんな男の手放しの褒め言葉を誰が信じるでしょう。

それでも、貶されるとそれはそれで腹はたちますけどね。

 

酒を飲む人は美食家なんてことを私は信じていません。

酒飲みながら食べる肴と、酒なしで食べる肴は、微妙に味が違うはずです。

作り手は何を基準にそれを作るかで、最もおいしい時は違うはずなんですよね。

折角、時間と手間をかけて作って、最高のタイミングでと思って、それを酒で流された

日には、怒りに燃えます。

 

いまはもうありませんが、京都祇園に、たまにお邪魔していた肉料理の名店がありました。

そこの女将さんは、「はい。お酒はここまでね。うちはメインの前にお酒はやめて

いただきます」とにこやかに、でもきっぱりと仰っていましたね。

その店のお料理はもちろん美味しかったですが、このセリフに惚れて、私はますますこの

お店が好きになりました。

度々行けるお店ではありませんでしたが、私には大切なお店のひとつです。

健康上の理由でか、お店を閉めてもう5年ほどでしょうか。あの味と女将さんのきりり

とした姿がまた見たいです。

 

そんなことを思いながら、昨日お友達が持ってきてくれた大量の筍を朝から炊いています。

有難いことに、茹でてすぐに炊けるようにしてくれている嬉しい配慮です。

尤も、そうでなければ作らないことも、彼女もよくご存じのようで(笑)

炊き上げて、まるでお総菜屋さんやなと思いながら、娘におすそ分けのライン

を入れました。

もちろん断るはずがありません。

春はいいですね。世の中の食材が冬の眠りから覚めたように豊富になります。

世の中は、季節感がなくなったと言いますが、こうして春には春のものが確実に

実ります。そしていただけます。

こんな私でも、そういう時は自然と季節に感謝して、美味しくいただきます。

今夜の筍も愉しみです。。。


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