過去懺悔

2024年08月16日

お盆の真っ盛りという訳ではないでしょうが、今年の二月に亡くなった私の叔母の息子・・

私には従兄になります・・が、訪問してきました。

私は一人っ子で、彼らは男の三人兄弟。やってきた従兄は三男で私と同い年です。

私の両親はすでに亡くなっておりますが、彼にはまだ90を超える父親が残っています。

その父親と彼は同居しているので、食事の世話も含めたものは、いま彼の仕事です。

もちろん母親が生きている時も、それは同じですが、何しろ彼は自他ともに認める

「マザコン」なのです。

 

本人もそう自称していますから、私がここで公開しちゃうことに、異議はないでしょう。たぶん。

ま、私ならしょうがないと諦めるでしょうね。

マザコンの息子は返す刀で父親が大嫌いです。

もっとも彼の父親は確かに褒められた人ではありません。

賭け事に身を持ち崩し、売上金を持ち出し、負けたストレスを妻子に暴力振るうことで憂さ晴らし

しょうという、とんでも男です。

しかも、外面はよく、子供に人気もありました。事実、私も「面白いおじちゃん」とずっと思って

おりました。今まで・・

 

賭け事に身を持ち崩し、母に暴力振るう父親をずっと見てきた彼は、当然父親が大嫌いです。

その父親の面倒をどういうめぐりあわせか、いま自分が見る羽目に陥っているのです。

二人の兄との葛藤もあります。

そんな彼が溜まりに溜まった愚痴を零しにくる先は、私の処しかないのです。

 

もちろん、私が「そーなの。そーなの。辛かったわねぇ」なんて同情して涙のひとつも零すキャラで

ないことは彼もよく知っています。

下手をすれば、「それがどうしたのよ。ぐちぐち言ってるくらいなら、兄貴たちかき集めて、オレは

このままでは親父の面倒みないぞ。」って宣言しなさいよ。くらいの事は言われる覚悟でしょう。

・・ま、それは事実ですけどね。(笑)

 

幼い頃は二、三軒おいたところに住んでいましたから、彼はよくうちにご飯を食べに来ていました。

私は一人っ子なので、みんなのいるご飯が楽しくて、いい思い出でしかないのですが、

彼からすると、その日のご飯もなく、帰ったら暴力振るう父親から逃すために私の両親が彼ら三兄弟を

ご飯に招いていたらしかったです。

 

我が家も貧しくて、親たちも自慢できるほどのことはありませんが、その当時の彼らの

寄る辺であったと思えば、ちょっと嬉しいです。

私の母は、口は悪いですし、あまり周囲のことに気を配るタイプてはありませんが、気はいい

人間です。そういうことを聞くと、ちよっと誇らしい気もします。

 

お昼から夕方まで昔話や愚痴を垂れ流して彼は帰っていきました。

大嫌いな父親は高齢です。ここで放り出したら、彼は非道と呼ばれるでしょう。

いくら嫌いな親でも親は親。子としての責任はあると断じられたら、それはそうなんで

しょう。

でも、育まれて愛されて育った人間のその言葉は、日々理不尽な暴力の前になすすべも

なかった子供時代を過ごした人間に届くでしょうか。

 

しかも、いままてクッションだった母親のいない今、彼は葛藤しています。

自分の中の怒りと、人間性との均衡に。

私はそれでもあと僅か、親なんだからという事が出来なくなりました。

もちろん最初の頃はそう言っていたのです。

でも彼の父親のもう一面を知った時、それが言えなくなりました。

 

ずっと生きていると、誰にも言えない事のひとつやふたつはきっと誰にもあります。

そしてそれを、どこかで吐露した時、自分を見る目が変わることに気付いて、慄くのです。

でも、その愚痴のはけ口のひとつに、私はなってやりたいです。

従兄という立場ではなくても、長く生きた人間の同志として、その話を聞いてやりたいです。

上から目線??   なんて言われようがかまいませんよ。

私は私のスタンスでそれを聞いて、一旦胸にしまいます。そして、それを開ける時は、私が決めます。

長く生きてきた人間が、いまから誰かの役に立つなら、どんな小さなお役目でも、喜んで

引き受けますよ。。。

・・・・・・・

え??  キミってそんなキャラだった??と問い返す家人には、私の良さは永久に判らない

でしょうね。

良さって・・良さって・・その心根の10分の1でいいです。ボクにくださいと言い続ける

家人の口を塞いでやりたくなりました。。。(笑)

 

 

 

 

 

 


フリーダイヤル 0120-039-242