百条委員会
ニュースは今、「大谷クン」か「斎藤知事」かと競うばかりに流れています。
私は淡路島が大好きでよく行きますので、この知事さんがたまねきを
おねだりした気持ちはよくわかります。
食べてみれば一目瞭然ですが、淡路島の玉ねぎは本当に美味しいです。まず甘いです。
柔らかくて甘いですから、どんなお料理に使っても、美味しくできます。
本当です。淡路島たまねぎと北海道たまねぎではカレーの味が違います。嗜好の問題ですから
強いては言いませんが、甘さとコクということでは、問題なく淡路ものです。
・・と、まあたまねぎ賛辞はこのくらいにして・・
私が百条委員会のことを知ったのは、その昔佐々木譲氏の小説「笑う警官」でした。
これは後に北海道警察シリーズで何冊も書かれ、最近その一部が完結しましたが、大好きで
シリーズは一冊残らず読んでいます。
さらに映画化もされ、そのキャスティングが気に入らなくて、たいそう損した思いになりましたが
続編が作られなかったことは幸いでした。小説の世界が崩壊します。
作中の小島百合婦警をメインにテレビ化された時も、同じ理由で二話以降は見ませんでした。
最近CSで時々放映されています。
とごまでも、脇道ですみません。
あの、小説の中では、百条委員会というのは命がけの裁判というイメージでした。
力のないものが、大きな力に巻き込まれた時、最期に助けてくれる砦。それだけに、権力者に
とっては目の上のたんこぶ。
自らの証言に罰則を背負う責任を負うという、人間として至極まっとうな、そして誰にでも
平等な評議の場と思っておりました。
事実、「笑う警官」の津久見は佐伯や小島に守られながら、百条委員会に出席するのですが
それまでの、権力側の圧力はえげつなかったです。
いまそれがリアルに、兵庫県で行われています。
出席するのが、権力者の方で、対峙する証言者は残念なことに亡くなってしまいましたが。
なのに、この緊張感のなさは何??
この事件のもともとは「公益通報者保護法」違反ではないかということから始まっていますが
(これには多々ご意見あろうかと思いますが、私はそう認識しております)私もこれが
すべての元凶であろうと思います。
もう何十年か前に、内部通報で企業のいろいろな悪が明るみに出た頃、内部の人間でないと
こんなこと知らない。判らないということで「チクったヒト」を探し出したり、
吊るしあげりした時代があります。
私の前勤務先の社長はいち早くこれに注目してアメリカで、そういう内部通報者を守る
システムを日本に導入しょうとしておりました。
仕事柄、役立つかもと私も東京でその研修会に参加させていただいたこともあります。
そんなこともあって亡くなられた県職員さんのことも残念に思っておりました。
でも、テレビで見る限りの斎藤知事は、己の正義を信じているとしか見えません。
つまり、悪いことをしているという自覚がない。
たまねぎも伊勢海老も蟹も、自分がくれと言ったものではない。向こうが勝手に差し出した
ものであるという認識なのでしょう。
そしてそれは半分本当かとも思います。彼には相手業者が本心で、自分のことを好きで
好意からでたことと、相手の想いを忖度して力関係を推し量って、本心とは裏腹ににこやかに
高価な貢物として渡したものなのかを見極めることができなかったのです。
東大を出ても、ハーバードを出ても、それは判らなかったのです。当然ですよね。
そういうことは、大学では教えてはくれません。
そういうことの真偽や正義は、もっと小さなころに躾を施される時に、親や周りの大人から教えられたり
見聞きしたりして身に付けるものです。
東大やハーバードにご縁などあろうはずもない、こんな僻地の魔女おババにもそれくらいの
ことは判ります。
あとはただ、百条委員会がそもそもの機能と正義を果たしてくださることを祈るばかりです。
ちなみに、小説で百条委員会に出席した津久見も佐伯も小島も新宮も出世はしません。
むしろ警察組織を裏切ったということで閑職に追いやられます。
でも、かれらはそこでまた仕事に向き合い、仕事の中で自分を育てていくのですが、
それはきっと物語の中だからなのでしょう。
現実はもっと厳しく、辛辣なのでしょう。だからこそ通報者は百条委員会を前に自死する
ことを選んだのでしょう。
でも、どうかこれを正義の一歩にしてほしいとおババは心から願います。
どんなつまらない世の中でも、生きにくい時代であっても、どこかで小さな正義の
第一歩は記されていると信じていたです。。。