「国宝」見ました。

2025年06月10日

あんなにしっこかった風邪が漸く抜けきって、はればれとした気持ちで映画「国宝」に行きました。

私はこの映画の封切を今か今かと、ずっと待ちわびておりました。

原作をずーっと前から読んでおりましたので、面白さは十分に理解しております。

ま、作者の吉田修一さんに駄作なし・・と、までは言いませんが(個人的には2.3作はあります。)

彼の作風は好きです。

初めての作品「悪人」は、肌にピリピリと微弱の静電気が走るような物語でした。

「怒り」もそうです。

「太陽は動かない」はぞくぞくするようなスパイ小説でWOWOWで

ドラマ化されたときは、あまりの陳腐さにがっかりもしたものです。あともほぼほぼ

読んでおりますが、感想は控えます。

 

そんな中での「国宝」です。これは唸りました。

もちろんモデルはいます。でも一人ではありません。これはあの人、あれはこの人と思わせながら

いや、やっぱりあの人かと思わせる手法はさすがの手練れ。

もし映画化されるなら、絶対に行こうとその時から思っていました。

 

それが映画化されたのはちょっと前でしたが、封切になったのはずいぶん時間がたってからですよね。

たぶん主演の彼の奇行が問題になったのかとは思いましたが、そしてその時は彼を恨みましたが

今回映画を見て、主演の吉沢亮氏に対する評価は大きく変わりました。

 

国宝は上方歌舞伎の役者の子と、長崎のやくざの息子の物語です。

苛烈な運命のやくざの息子は天性の芸の素質をもち、血筋で優越するはずの役者の子は

その素質の前に嫉妬と嫌悪に苛まれながらも、お互いに切磋琢磨しあうというのが、だいたいの

あらすじです。

書けば簡単ですが、少年時代からの二人の葛藤は、見ているだけでハラハラドキドキします。

どちらに肩入れするという訳でなく、どちらかが選ばれるかという過酷な運命に心臓がパクパク

するのです。

素質と血・・これは古くて新しい物語です。

この使い古されたテーマに血を注ぎ、熱量を込めたのが吉田修一氏です。

主人公のモデルは坂東玉三郎とも、六代目中村歌右衛門とも言われているそうですが、

彼らを含めた多くの名もなき歌舞伎役者と、血筋の全うを遂げた役者をかき混ぜて濾過することなく

飲み干したのが、本作であると私は思います。

美味だけれども、舌に残る雑味。なのにそれがやめられないし、止められないという感覚。

毒とクスリを同時に飲み干しているような気にさえなります。

 

こんな熱い思いでみた「国宝」

その期待に十分に応えてくれた作品でした。原作を損ねることなく、その映像美を十分に駆使し

文字だけでは表せなかった世界を、あっという間に目の前に広げてくれます。

「二人道成寺」も「鷺娘」もそれはそれは美しかったです。

「曽根崎心中」のお初も、妖艶と可憐と美しさでは当代の歌舞伎役者に勝るとも劣ることなしと

私ごときの感想で申し訳ないですが、納得しました。

 

主演の吉沢亮氏については、大河ドラマ「青天をつけ」で、私が視聴を止めて以来、あまり

評価しておりませんでしたが、今回の作品をみて、つくづく我が身の不明を知りました。

ごめんなさい。本当にいい役者さんです。

単に綺麗なだけではない、その端正な顔の奥に、さまざまな感情や心情を隠していて、それを

時折見せるだけのテクニックと演技力は十分に判りました。

 

久々の映画充分に愉しみました。ぜひお薦めします。

ただ唯一の難点はこの映画三時間あります。

私は映画の子ですから、ちゃんとそれなりの配分ができますが、館内に入るやアイスクリームを

私の分も食べ、コーラを貪った家人はなんと二回もトイレに立ちました。

二回ですよ。・・ホントに恥ずかしい。

こんな芸術性のない輩とは二度と一緒に見たくありません。

でも、こんな輩でも終わったあとは・・

「いやー。いい映画だったね。オレは歌舞伎が好きだから余計よくわかったわ。」と

充分楽しんだ気分になれるのです。

一本の映画に二回もトイレに立つ男に何が判る?とは思いましたが、そこはそれ

私も大人です。

スルーして、相手にしないことにしました。

この余韻は一人でじっくり味わいたいものです。。。

 


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