お盆に思い出す
先日はここ(ブログ)で母を語って、そのあと娘とその次男、お友達親子も招いて「手打ちうどん」
教室を開きました。
小学三年生の彼と彼女は、最初の塩水作りの計量から悪戦苦闘の末、捏ね、形成、踏み、寝かせと
オーソドックスなさぬき手打ちうどんのコースを経て、切り、茹ででまずは「うどん」を仕上げました。
太さと長さのまちまちなうどんを茹で上げ、出汁醤油を少し垂らして、試食分くらいを食べさせると
親も子もそれはそれは大喜び。
・・うどんですから、しかも打ち立て、茹でたてで不味かったら、どーするのよとは言いません。
ただ、ホンネを吐露するなら、どんなにうどんに拘っていても、伊吹のイリコじゃ鰹節だと
気取ってみても、うどんはうどんです。
小麦粉と塩と水しか原材料はありません。それを手で捏ねて、板で叩いて、ビニールに入れて踏んで寝かせる。
そうすれば、誰でも「うどん」は作れます。
しかも茹でたては旨い、例え太さはまちまちでも、長さに長短あろうとも、前述のように美味しいのです。
わざわざ、山奥のうどんやで、気難しいおじさんの顔色窺って、自分で葱まで採らされ切らされて、
食べるより、我が子の短い指で形成したうどんの方が何倍も美味しいのは当然です。
うそだと思ったら、一度試してみてください。・・なんて言ったら観光協会からクレームでも
来そうですね(笑)
ただ近年はここもうどんだけじゃない〇〇県!が売りなのだそうですが。
子供たちにそれぞれ、MY麺棒と厚手のビニール袋とレシピを渡すと、二人とも、家でまた
作ると意気揚々と帰っていきました。
子供のパワーはたいしたものです。疲れますが心地よい。私にも達成感があります。
試食に参加した家人も、思いの外の美味しさに「う、うまいよ。これ」
・・・ま、あなたには判らないわよね。これくらい当然だってこと。
早速三本目の麺棒を買いに走りそうです(自分も打つ気満々のようです・・)
と、思っていたらその翌日から、最近はやりの夏風邪の襲撃にあい、やっと体調を戻した
ところです。やれやれ、無理はするものではありません。
案外熱が高く、ぼんやりした頭で過ごしていると、昔のことを思い出すものです。
最近は落ち着いたのか、ちょっと顔を見せない泣き虫の私の従弟が、かつて語ったことが
ありました。
従弟の亡母(うちの母は彼女の兄嫂になります)が晩年、従弟に語ったのだそうです。
「昔、四人目を妊娠した時、産むか産まないか迷って迷って、なかなか決められず、
嫂さんに相談したことがある。男の子はもういらん。女の子やった欲しい」と。
当時は男のが三人。ギャンブルに走る生活力のない夫に苦労していた叔母でした。
すると母は真剣な顔して叔母に向い
「何を迷うことがあるの。産みなさい。女の子ならあなたが育てなさい。育ったらきっと
助けてくれる。男の子だったら、私が育てるから産みなさい」と、きっぱりと言い切ったそうです。
なのに、「うちのオカンは決心できずに堕したら女の子やったんや」と従弟は、自分の母の
判断の甘さを嘆きましたが、私は私の母が誇らしかったです。
私が育ててやると言い切った、無鉄砲で考え無しの母が誇らしく、その話を聞いた夜は
ちょっと逢いたくなりました。
母は馬鹿ではありませんが、深く考えることは苦手のようで、多くをすぐに決めてしまう
癖がありました。熟考ということができない人なのです。
そのせいで、損なことがあったり、余計なことをしなくてはならなくなったことは何度も
ありました。それでも、嘆いたり悔んだりしながら、手放すことをしない人であることは
知っています。
その母が言い切った以上、男の子が生まれていたら、きっとそうであったと思います。
今は、配偶者の側の親兄弟を「義家族」とか「義姉」とか語っている人たちには
到底理解できないでしょうし、考えられない発言でしょうが、そういう向こう見ずな嫂も
昔はいたのです。
そんな向こう見ずが、私の母よ!と歌って踊りたくなるのは、私もそろそろ
「ご老体」???
・・いやいやもう立派なご老体ですが・・なにかっ?
熱に浮かされて、こんなこと妄想してたんだと思ったら、なんだか急に体が軽くなって
元気になってきました。
やっぱりこれも母のおかげ・・なんて急に親孝行のふりなんかしていると
「慣れないことは身に付かず」なんて悪たれ口が返ってきそうです。それでこそ
私の母なのですけどね。。。今夜はお盆です。。。