時に重たい親の愛
自分の子供時代を振り返ってみると、本当に可愛げのない捻た子であったと今はしみじみ思います。
反抗的で理窟家で、父親と言い争っては「お前はアカかっ!」とよく罵られました。
(言っておきますが、これ戦前の話ではないですよ。誤解なきように・・)
日本が今の香港みたいに、荒れていた時代の話です。
毎日ニュースに全学連と機動隊がぶっかって、火炎瓶が空を飛んでいた時代のちょっとあとの話です。
私は親を信用していない、むしろ軽蔑さえしていた鼻持ちならない、頭でっかち(実際、頭は大きいですが・・)で、
親はそんな私を持て余していた時代もありました。
そんな私も親になる時がきます。
よく「親になったら、はじめて親の気持ちがわかる」と言われますが、私はこのいま現在でも、あの時の自分を
反省しょうとは思いません。
私は、私の環境の中で精いっぱい、世間を見て感じて何かをしたいと思っていたのだなと、愛おしくすら
思えます(究極のナルシストやからな←カゲの声)
でも、私の子供たちはいま成人して、あの時は母の理不尽に耐えたとか、子供の言い分聞いてくれない親だったと
よく兄妹で話題にしているようです。
私にはまったく、身に覚えのないことなのに・・
これを「毒親」と世間は言うのでしょうか。
子供に害毒を与えながら、自分では一切気づかずむしろ「子供のためと言い張る親」
いや違うな。私は子供のためとは言わない。思わない。
自分の意向に沿わないということが、我慢できなくて、子供を叱っていたのかも・・
そう思ったら「毒親以上やん。」と、私の良心の声が聞こえてきました。私にも良心が残っていればの
話です。
私たちの仕事には、この「毒親」や「毒親もどき」の人たちがよく相談にこられます。
かの人たちはひとえに「子供のため」と言います。
その声を聴きながら、私の胸はざわめくのです。
「そうかしら?」
「それは本当に子供のためかしら? あなたの満足のためではないの?」
図々しくも、この魔女相談員は自らの心身はさておき、相談にこられた自称毒親さんたちの心をえぐるのです。
そして、その毒素を取り除いてから、治療に取り掛かるのです。
毒には毒を持って制すやねと横から嘴を挟む、家人の言い草は無視しながら。。。