親の体罰

2019年12月09日

息子がやっと東京に帰りました。働き方改革とかで「休め。休め」と言われているのだそうです。

自宅で仕事をしてもいけないのだそうです。PC開けても、それがいつどこでと判るのだそうです。

でも、もうこうなったら「仕事することは犯罪ですか?」と聞きたくなってくるのは私だけですか?

昭和の最後に生まれた息子は心身ともに立派(?)な昭和の男です。

亡き父親から学生時代に、「アルバイトとはいえ、仕事は他人のものを取ってでもやれ。聞くより見て覚えろ。

人より先に動け」と教え込まれた人間です。

今のこの状況に戸惑っています。

 

彼が新人時代、上司が「いやぁ、今時何も心配しないで叱れるのは君だけだな。」と、妙な評価を受けたと

言っておりました。

人の息子をサンドバックかと一瞬思いましたが、その上司さんのお気持ちも今はよくわかります。

いま、ちよっとだけ人を使う立場になった息子は、実際の自分の仕事の何倍も、その部下たちとの対応に

心を砕いています。

見るからに繊細なタイプではありませんが、私からみれば父親に似たところのある「ホントは小心者」という

ちよっと判りにくい人間であるだけに、大企業の中でさぞや生きにくい思いをしているだろうということは

察せられます。

 

本当に、日本はいったいどこに行くのでしょう。

今朝のニュースでも「親の体罰についてガイドラインがでた」と言われていました。

親が子に対する最近の躾と称する虐待には確かに大きな怒りを覚えますが、親が子に躾をするのに

「お尻を叩く」「長時間正座させる」「罵声を浴びせる」などが「ダメ!」と言われたら、親は

小さな子供にどうやって、危険や禁止を教えるのでしょうか。

私は決して体罰容認派ではありません。

 

息子が中学時代、意味もなく連座でビンタを受けた時には、当時の担任の先生に「もう中学生ですから、

言えば判ります。それでも判らなければ、私に連絡ください。叩く必要があれば私が叩きます。私は親

ですから。」と言って、当時の先生たちを唖然とさせたそうです。(のちに、息子から聞きました)

 

私はもともと白黒はっきりタイプの人間ですから、自分の中での決め事があります。

判りやすくいえば、親は子供を叩いていもいいと思います。そして子供を叩けるのは親だけだと

思っています。

理由は、もしも叩いて子供になにかあった場合、打ちどころがわるくて寝たきりになったり、もしもの

場合があったとき、その責任はすべて親である私のものだと思っているからです。

だから、責任のない赤の他人には叩かれたくありません。たとえ「先生」であってもです。

スポーツ同好会の自称コーチと呼ばれる他所の親御さんなどもっての外です。

 

で、この尺度でものを考えると、政府が一個人の躾に対してガイドラインを決めるなんて、余計なお世話です。

むしろ個人の生活に干渉しすぎることが怖いです。そしてそれを許す社会が不気味です。

でも、こんなに虐待が・・という声も判ります。私も幼い命が虐待で消されることは許せないです。

子供が哀れで、なんとか救えなかったと大人としての責任は感じます。

でも、だからといって、親の体罰のガイドラインを決めるのは違います。

それでは諺の「熱ものに懲りてなますを吹く」そのものではありませんか。

 

子供には子供の個性が千差万別にあります。

叩かれながら判る子もいます。幼いころ叩かれた思い出が傷になる子もいますが、懐かしい思い出と

いう子もいるのです。

私も叩かれて育ちました。悔しかったこともあります。忘れません。でも、それも含めて「親」なのだと

思っています。親とて人間。正しいばかりじゃないことも優しいばかりじゃないことも、その時学びます。

そうでなければ、次の親にはなれません。

親と子はそうしていいところも、悪いところも見たり体験したりしながら、次の代につないでいくのです。

 

それが判らずして、どうして次世代人間などつくれましょう。

こんなことばかり考えている議員も官僚も、どうしてこんなアホばっかりなのかと、私は空恐ろしくなります。

もう先のない魔女相談員が、ここで嘆いていることを誰かが見ていてくれることを祈っています。。。

 

 

 


フリーダイヤル 0120-039-242