桜の話
誰もお花見をしない今年の桜は、なぜか悲壮感を漂わせて特に美しいです。
私が、毎年その夜桜の妖艶を愛でる近所の老木も、ことさらに妖しく優美な姿を見せております。
その桜を、私たち家族は勝手に「うちの桜」と呼んでおりますが、当然それは我が家の持ち物でも
私個人のものでもなく、ある団地の一角に三本の木が個々に張り出しております。
場所は言いません。そこは私有地の中から道に張り出しているので、人が増えたら団地のご迷惑に
なりますし、交通妨害にもなります。
私も毎年、楽しんでいますが、基本通りがかりの楽しみに収めています。
車を止めれば堪能できるでしょうが、迷惑になります。
そうやって一時のことで、いやな思いをするくらいなら、我慢しておいた方が来年も気持ちよく
楽しめます。
でもどうしても、どうしてもその桜吹雪の下でものを思いたいときは、真夜中のその枝の下まで行きます。
真っ暗な空に張り出したソメイヨシノの薄桃色は、可憐でもあり艶めかしくもあります。
風もないのに、時々さよさよと花びらが舞い散って、それはそれは幽玄の扉を開いてくれます。
誰もいない、誰も通らないこの道で、たった一人で、桜の木を見上げていると自分がこの世の者ではない
のではないかとさえ錯覚しそうです。
私がこの木の存在を知ってからでも30年とは言いません。
その間、何度か夜中にこうして桜を見に来たことはあります。
そして一度だけ、たった一人で一度だけ、声を限りに泣き叫んだ時があります。
遠い日のことですが、私には昨日のように忘れられない日です。
でも、このことは誰にも言わず、語らずと思っていましたのに・・
私も、昨今のコロナの毒気に当てられてしまったのかもしれません。。。