壮大な社会実験

2020年04月26日

街は静かになりました。特に土日は商店街も飲み屋街もシャッターを下ろして息を

潜めているようです。まるで何かのパニック映画の1シーンのようです。

このままでいけば5/7に非常事態宣言を解除・・とはならないような雲行きです。

「不要不急の外出を自粛」これがまるで戦時中の「欲しがりません。勝つまでは。」と

いうスローガンに重なって見えるのは私だけでしょうか。

私は戦争を知らない子供たち世代よりもう少し下の世代ですが、あの時代の

勉強も知識も人並みには持っているつもりです。

そして何より、自由と平和を全学連や沖縄闘争で見てきた世代です。

 

だからこそ、不安で怖いのです。この一斉みんな「右むけ右」の風潮が。

安倍さんや小池さんの言うことに、みんなが従うこの風向きが。

伝染すかもしれない。伝染されるかもしれない。この不安が人々から冷静な判断を

曇らせているのではないかと思うのです。

手洗いをして消毒をして防ぐ範囲では許されない自由と、外出や仕事を半ば強制的に

止められ、出歩くことをマスコミや周りが監視するような不自由とでは

どちらがより人間らしいでしょうか。

 

私はなんだか、だれかが壮大な社会実験をしているのではないかとさえ思えるのです。

人はどこまで耐えられるか。とこまで為政者のいう事を聞けるか。

社会のために自己犠牲を続けられるか。

どこまで行けば監視社会を受け入れられるか。

それらを誰かが、どこかで社会実験しているのではないかとさえ思うのです。

 

規制される不自由と、規制が緩まる命の危険とを秤にかけたら、

今はみんなが前者を取っています。

命はもちろん何よりも大事です。いうまでもありません。

でも、命の継続はある特定の病気にならないというだけでは成り立ってないのです。

言うまでもなく、社会も、私たちの生活も、ほどほどというところで

正と負を、裏と表と、光と影とを図りながら暮らしています。

それが本来の人間の生活の有り方だと私は思っています。

 

流行り病で死ぬのはもちろん怖いし、そういう死に方は望まないですが、

その引き換えに、自由に出歩く権利と人と会う権利を放棄しろと

迫られたら、私は考えます。

無条件で人の勧める方法は選びません。

究極、自分の生き方は自分で決めたい。もちろん自由気ままに

生きるということではないですよ。

今のこんな極端な、ある意味での全体主義を過去のリベラルと

言われる文化人や自由主義者さんたちが生きていたら何と言うか

聞いてみたいです。

なにごとも、行き過ぎるのは及ばないとの同じと思います。

古のことわざはなかなか真理をついていますよね。。。

 

 


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