mother
四連休の最終日、本当に久々に映画に行ってまいりました。
「mother」です。
席の予約時から判ってはいましたが、前後の列は全席空白。両サイドも
空白。これでは全席埋まってもたかだか知れています。
長くてくどい予告編と、ただで映画が見れるというなんとも自虐的なコマーシャル
スポットが何回も続いて、やっと会場が暗くなった時に入場者は10人足らず。
私たち二人を含めての10人ですよ。・・
入場前に一人一人体温を測って消毒スプレーを、ありとあらゆるところに
設置しての10人です。
映画愛好家の私としてはなんだか悲しくなりました。
歌舞伎町では命知らずのアホどもが狂乱の夜を何人もの人たちと
過ごしている間に、こんなに感染に注意している施設なのに入場人数が
たった10人。
はぁ・・ため息がでるばかりです。
守る者と守らぬ者・・これが日本の現実です。
正直者が馬鹿を見る・・コロナはいろいろな現実を剥きだしで
私たちの目の前に晒してきます。これでもか、これてもか・・と。
で、肝心の映画ですが、これは友人たちにもラインで送ったのですが
「暗くて救いのない映画。でも秀作と言われるよね。きっと。」
これが私の感想のすべてです。
現実の事件をモチーフに親としても人としても破綻した母親と暮らす少年。
何年もの生活のあげく、行き詰った母は祖父母を殺してお金を取ってこいと
少年に言い、それに従う彼。
クズの母親とその相手の男のクズっぷりは救いがありません。
何度かそこから出られるタイミングがあっても所謂「共依存」の
母と子には離れるということができないのです。
母にどんなめに遭わされても彼が母から離れるという選択はない。
これが映画のテーマでしょう。
こんな親子は珍しくはありません。
祖父母殺害なんて極端なことは少ないでしょうが、母と子は多かれ
少なかれ「共依存」です。
そうでなくて、なんで寝る間も惜しんで子育てができますか?
「この子は私の子だ。どう育てようが私の勝手」と開き直る母親の
セリフにはある種の真実があると私も思います。
でも、真実であっても、それを剥き出しにしないで生き行くからこそ
人であるのではないかというもう一人の私もおります。
私は子供を二人育てましたが、出来はともかく「自分の思うような子育てをした」と
いつも家人に話しております。それは本心です。
ですからその結果、子供らが失敗したり、世間に迷惑をかけるとしたら、それは
私の責任であることからは逃れられないと思っています。
「お母さんのために・・」と子供が自らの道を曲げたり引き返したりしたなら
それは私への冒涜です。
そんなことは微塵も望まないし、もちろん嬉しくもありません。
それが世間から親孝行とか、優しさと評価されたとしても、私は
「負けた」と感じるでしょう。
こんな親に育てられた子供たちは大変です。
でも、親も時々はこんなテーマの映画を見たりして自分の道の
見直しをしています。軌道を修正したりもしています。
一日でも長く、親が親であるために・・・
そんなことを考えた夜でした。
でも、映画館の行く末を思うと、なかなか寝付かれないと
思っていたら翌朝
「いつも寝つきはいいけど昨日はとくに早かったね。」と家人に言われ
自分で思うほど繊細ではなかったなと、改めて思い知りました。。。