私の秋が・・
さて、10月が始まりました。今年は消費税のことがあり、殊更に騒がしい秋になりそうです。
やっぱり、秋は10月からですよねぇ。そして私の秋の始まりは、田んぼの畔や、里山の道端に暑苦しいほど咲き乱れる曼殊沙華から
はじまります。思いもかけないところに群生していたり、ぼつんとあでやかな一輪を誇っていたり、その存在感はさまざまですが、
私の亡母が好きだった花です。我が家の猫の額ほどの庭にも彼女が植えていました。秋になるとすくっとその姿が凛々しくて。
でも、不幸なことに私の父はこの花を「縁起の悪い花」と嫌っていました。なので、母の存命中に球根ごと、ごっそりと抜いてしまいました。母は昔の女です。その不満を自分の胸に収めていたようです。
私が知った時はもう、花も球根も捨てたあとですから、後の祭りというやつですね。
何年かして母が亡くなり、その年の秋。。
あれ?なんか見たことのある茎・・と、思っている間に、庭の中でぱっと鮮やかな朱が二輪。
なんで? 父が捨てたあとは一回も咲かなかった曼殊沙華。もちろん根こそぎすてているのですから当たり前です。
それが母が死んだ年の秋に、甦るように咲くなんて・・
まるで生まれ変わり・・なんてまでは思いませんでしたが、父が「まだ、残ってたんか。」と、茎に手を掛けようとした時
「お母さんの生まれ変わりなら、そんなことしたら罰が当たるよ。」と私。
父がそういう話にからっきし弱いことを知っての牽制でした。父はあわててその手を引っ込めてぶつぶつ言いながら立ち去りました。
そのあとも、庭の曼殊沙華はずっと二本咲いていました。でも、ある時ふと気が付くとそれが四本になっています。それは私の夫が亡くなった年の秋でした。
そして何年か前にそれが六本になりました。はい。父が亡くなった年です。
次は私かな・・とは思うのですが、この花は意地悪で亡くなる前には教えてはくれないのです。ほんとに、底意地の悪かった母にそっくりです。それでも、なぜか今年も開きかけたこの六本の曼殊沙華がなんとはなしに、愛おしいのです。