外見と内面の変化について
ばたばたと忙しい日々が続き、気付いたらもう1月も終盤。
月日の経つのは・・なんて常套句を何度口にしたことでしょう。
でも、思い返してみると、そうでもないのです。
・・・なにが?
私が月日の速さを嘆く回数が・・です。
確かに、よく口にしていたのですが、それは数年前のことで
最近はすっかりその回数が減りました。
年を取る毎に増えるなんて俗説は嘘ですね。
私は、毎年確実に減っています。
でも、考えてみればそれは当たり前のことで、否が応でもそのうち
毎日日曜日どころか、毎日安眠日になるのです。
それまでの間に、あれよあれよという間に時間を過ごしていたなら
それこそ、チコちゃんに「ぼーっと生きてんじゃないよっ!」とどやされそうです。
私は建設的な人間でも、勤勉な人間でもありませんが、終わりを知る人間には
なりたいと思っています。
終わることを知っている人間でありたいのです。
先日、夕食が終わって家人が「死ぬ前に言い残すことがあるとしたら
どんなことやろ?」と言うのです。
私は即座に「ない。」と答えました。
死に際に言い残すことなどありません。
いや、正確に言えばどんなに考えても、用意をしても、死に際に
自分の思いの全てを言い残せるわけがないのです。
私は普段から、自分のやりたいことや、人に求めることは言葉にしております。
これで充分です。
これ以上まだ何かを残そうなんて、少しも思いません。
あまりあっさり加減に、家人は暫し呆然としておりましたが、気を取り直した
ようで「そうだよね。君はそういう人だよね。ふつーとは違うかった。」と
ぽそり。
ちよっと待て!
君はそういう人までは許そう・・しかし、ふつーと違うとはどういうこと?
ふつーて何よ?
自分の死生観に「普通」なんて存在する?
なんで人と同じでなければならないのよ。
・・・・ああ、私ってもしかしたら肉体と精神は逆に年を経ているのかしら・・
このセリフは、なんだか遠い昔も言っていたような気がする。
「普通でないといけないなんて誰が決めたのよっ。」
そうあの頃は、もっと激しく言い捨てていたわ。
遠い昔・・100年前ではありません。
そうやって自分を俯瞰して見ると、案外楽しい発見があります。
これは若い頃にはできないことで、そう思うと、歴史と皺は
重ねてみるもんだと、誰にでも判るような強がりを言ってみたくなるのです。。。