読めよ「じんかん」

2021年03月02日

久しぶりに時代小説を堪能しました。

自慢するわけではありませんが、私は同世代の同性女子に比べて

読書量は多い方ではないかとは思っています。

日々、片手間に本を置き、一人の食事は必ず本と一緒です。

仕事を続けているのも、好きなように本を選んで買いたいというのが

理由の一番目でもあるのです。

ジャンルは問いませんが、フィクションにしても、ノンフィクションにしても

物語に限ります。

ただ、近年はその量に比して、内容の記憶が付いていかないことも

あって5年ほど前から読んだ本の感想を認めることにしたのです。

これはなかなか効果的で、たまにあった同じ本の二重購入がなくなりました。

経済的にも精神的にも効果のある方法でしたね。

 

さていつものようにながーい、前置きはそのくらいにして、

昨日読み終えた時代小説のおもしろかったこと。

「じんかん」作者は、今村翔吾氏。

ご承知の方も多いかもしれません。れは新刊というにはちょっと前から

本屋に平積みにされていて、私も何度か手にとってはやめていたのです。

なぜなら、主人公が「松永弾正」だからです。

歴史に造詣の深い方ならともかく、私のような浅学の徒には

どうも「悪い奴」というイメージしかなく、彼をどんなに料理しても

魅力的であるはずがないと思い込んでおりました。

なにしろ主君を殺し、金目のものを漁り、神仏を焼き払う男ですから

どこにドラマがある?  と、思い込んでおりました。

しかも本の帯に各書店の定員さんたちの賛辞の嵐。私の経験からいうと

こういうときは、たいしたことがないのです。

平積みにしたものの、思ったほど売れないのでそのセールス手段と

思っていました。

ここに、その思い込みを深く深くお詫び申し上げます。

 

そんな私がなぜに改めてこの本を手にしたかって・・

それは・・なんともミーハーなことながら大河ドラマ「麒麟が来る」で

吉田鋼太郎さん演じた「松永弾正」がなんとも人間臭く、魅力的に見えたからです。

 

書店員さんのどなたかが書かれていましたけど最初の18ページで心を

捕まれたと。これ私もです。

麒麟つながりで言うなら、私はあのドラマの信長役者は受け入れられません。

染谷クンという俳優は嫌いではありませんが、彼に信長は無理です。

その点「じんかん」に出てくる信長は、この物語のストーリーティラーにして

ラストでその存在を際立たせる、映画でいえば「特別出演」と肩書がつきそうな

存在感です。

松永弾正がどう生まれ、どう生きて、どう己を全うしたか。

これは見方でこうも変わってしまうのかという物語になっています。

こんなにも主家を愛し、養護し、自らの風評などは主家の存在理由の前には

良かろうとも、悪かろうとも、利用し尽くす。

これが本来の、家臣の姿かと目を洗われます。

そして自分の家臣たちとの熱いつながり。

学生時代、「堺の町の自治」と簡単に日本史で教えられた時は、そのままの

文字でしか見えなかった堺の町が、この本を読むとなぜ自治を行えたのか

ここだけが自由だったのはなぜなのかの謎解きができます。

腑に落ちるのです。

 

松永弾正の主家、三好元長は理想の社会を作ろうとし、それが、民のための町であっても、

多くの人は変革を求めてはいない。9分9厘の民が今が担保されるなら、

このままでよいと願うものなのだと言います。

それは、どの時代も同じで、これが人間の本性というものなのかもしれません。

それでも、1厘の人間が必ずいる。

この世を、よりよいものにしたいと願い、しょうと動く1厘の人間。

自分も1厘の人間になりたい。この場だけであったとしても。

ラストではこの言葉を信長の小姓が弾正に叫びます。

 

読まれる方のために詳細は控えますが、私はこの時代の人物として

織田信長が一番好きでしたが、今は迷いますね。

自分の中で、こんなに評価が左右に大きく揺らいだことはなかなかありません。

もともと私は疑り深いので・・

ただ「堺の町の自治」ということばが、ストンと自分の胸に落ちた時に

なんともいえぬ爽快感を感じたのは確かです。

本っていいですね。いつも新しい発見と、興味を育ててくれます。

私がいくつになっても。。。

 

 

 

 


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