変人ですか。

2021年05月28日

人間は同じことを繰り返しているとよく判るのは日記を読み返した時です。

私は五年日記を愛用していますので、その年度によれば五年が一度に読み比べ

られます。

これは、ある意味小説よりも面白い。

今年、家人が整形外科に行ってきたと書いたら、なんと去年の同じころにやっぱり

同じ症状で通っていたり、ちょっと食事に遠出したと思ったら、やっぱり同じころに

遠出して美味しいもの探しに行ってたりするのです。

そして、感覚的に今年の梅雨は雨が多いわねなんて思っていると、案外去年のその日も

雨・・なんてことはよくあります。

 

やっぱり、ヒトは一年365日のサイクルで動いているのだなと思うと古人の慧眼には

恐れ入るばかりです。

 

若き頃の日記は定期的に燃やしていましたので、今手元にあるのは、それなりの

分別あるもの・・ではありませんが(恥・・)

年代のものですが、それでも毎年毎年の精神年齢の変化のなさにはびっくり。

よくも、こう同じ気持ちでテンションで生きられるものだと我ながら空恐ろしく

さえ感じます。

ま、年齢不詳の魔女おばばですから、それも当たり前といえば当たり前では

あるのでしょうけれどね。

 

若い頃の日記を燃やしたというと家人などは勿体ない。読みたかったのにと

さも残念そうに言いますが、そんな口車には乗りません。

あの頃の日記を誰かに読まれた日には、恥辱と羞恥に身を焦がして燃え尽きて

しまうでしょう。

若き日に火をつけた時にすら、誰にも見られなくてよかったと胸をなで

おろしたものです。

・・・念のために言っておきますが、もちろん犯罪の告白なんてものでは

ありませんよ。そんな小説チックなものではないのですが、未熟な自分の

心がブレて揺らいで悶えているのが、たまらなく恥ずかしいものに思えたのです。

 

じゃ、いまならあってもいいんじゃない?と家人は言いますが、今ではもっと

いやです。私の死後これを家族が目にするかと思ったら、それまでの自分の意地と

見栄が崩壊するような気がして、そうなったら何のためのやせ我慢だったのかと

自らの生き方の否定のような気がして・・・いやです。

 

そう自分の恥部は自分で処理しておくのに限るのです。

自分に正直であればあるほどそうです。

 

ですから、案外ここ10年ほどはいわば「見せられる日記」と言えるかも

しれません。

五年日記にしてからは、心のうちを書くことが少なくなったのです。

と言うより、蘭が小さすぎて物理的に書けなくなったのです。

でも、案外これって理にかなっているかもしれないとも思います。

いつか突然に死んだときも、これなら誰に読まれても平気です。

案外読んだら「へー」とか「そうなんや」とか共感して貰えるかも

しれません。

 

自分のこと、つくづくと、偏屈な性格だと思います。

そして、こんな偏屈な自分が、やっぱり好きな私って、へ・ん・じ・ん

と呼ばれるのでしょうね。誰からも。。。(苦笑)

 

 

 


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