誤解を怖れずに言うならば。

2021年08月31日

今朝もパラリンピックとアフガンとコロナでテレビの中身は一杯です。

こんなに詰め込んだら、消化不良でしょうと思っていると、案の定突っ込み処

満載のコメントが次から次へと溢れだし、さすがにもう見るのがいやになりました。

 

パラリンピックは確かに感動!・・と言うよりも驚異!と叫びたいくらいの技を次々と

披露してくれます。

ここまでの成果のために、どれほどの辛酸があったかと思うと、私たちも手放しで賞賛する

だけでいいのかとさえ思います。

ただしかし、こんなストイックで真剣なアスリートたちを見ていると、この人達は本当に

このスポーツが好きなんだろうかと、つい思ってしまうのです。

もちろん、殆どが好きからのスタートでしょう。そして日々の研鑽が今日のこの日の集大成なのでしょう。

でも、ハンデを背負って泳ぐだけでも、走るだけでも、超人的な努力を要しているはずですが、その上に

金だ、銀だと騒がれて、車いすこど跳ね飛ばされて転がされて・・・

あれはそういう競技だからと家人は言いますが、私が彼らの母ならわが子が転がされるのを見るのは

辛い。

そりゃあ、より早く走り、泳ぎたいというのは競技者の宿命的本能なのでしょう。

でも、その中に「楽しく」を入れるとなぜいけない?

スローガンでは、楽しくと謳っていますが、彼らの戦意は本物ですよ。楽しくなんと

入る隙間もない。

よりストイックで、さらなる高みを目指している。そのスポーツに出会えたことで

自分の人生が変わったというのですから、そういう入れ込みになるのは当たり前でしょうね。

でも、足が不自由でも、眼が見えなくても、そうやって跳んで、走って、打ち返して、泳いでいるだけで

あなたはスーパースターではありませんか。

アスリートと呼ばれるには、楽しいスポーツを手放さなければ、ならないものなのでしょうか。

 

人はすべからく、愉しみで手掛けたものに入れ込んでしまい、もうやめたいと口に出せないことが

あります。でも、誰かが「もういいんじゃない?」と声をかけたら、どうなるんだろうと思う気持ちは

ずっとありました。

アスリートたちにとってそれは余計なことかもしれませんね。人はそれぞれですから・・

私は自分が超運動オンチなので、優れた人を見ると畏敬の念を抱きますが、同時にその集中力を

もう少し全方位に回してみてはどうかなといつも思っておりました。余計なことかもしれませんけど。

 

楽しく生きることが、人生の命題の私の生き方は「安易に生きるのすりかえ?」と問われても

反論しきれないほどのものではありますが、このまま死ねたら嬉しいなとはいつも思っております。

 

ただ、今日のブログは、パラリンピックに出場の全ての選手の皆様を非難したり、

論う趣旨で書いたものではありません。

もし誤解があったら申し訳ありません。私の稚拙な文章力と、浅はかな語彙ゆえの

結果です。お詫び申し上げます。。。

 

 

 

 


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