まんがで読破

2021年11月16日

我が家のトイレには大き目の本棚が据え付けてあります。

本来はもっと大く作り付けであったのですが、幅がありすぎて本の収納に都合

よくはないのでそれを取り外し、既製品のものに替えたのです。

それでも本棚は本棚、それなりの威圧はあります。

そこに、私は美術書や歴史書旅行ガイドや、ちよっとしたコミックスの類を入れて

おります。

その中に「まんがで読破」シリーズが何冊かあってそれを今、何度目かの読み返しを

している次第です。

「まんがで読破」はイースト・プレスから刊行されているコミック文庫シリーズで

「みんな知ってる。でも読んだことある?」がキャッチフレーズの、いわば漫画教養書です。

さまざまの本があって私は20冊くらいは持っています。

もちろんだいぶ前に購入していますので何度かは読んでいます。

「アンナカレーニナ」「復活」から「法華経」「立正安国論」「資本論」までなんでも

ありです。

昔、昔手にしたことも、読んだこともある本でも、すっかり中身を取りこぼしていたり

タイトルだけで読んだ気になっていたり、確かに、知ってるでも読んだことある?

本たちなのです。

リラックスして読むものですから、かるーく読み飛ばすこともあったのですが、さすがに

3回目ともなると、なんだか一冊一冊が心に、ずしんと響くのです。

これって、さすが読み継がれる名著の所以ではないかと心秘かに慄いています。

まだ半分にも至らぬのですが、私の中ではもう「論語」と「法華経」はもう一度

本編で読みたいなと思う気持ちが芽生えています。

特に、論語は学生時代に漢文で入門し、その押しつけがましい(その頃はそう思って

いたのです)論旨になじめなかったのですが、今は古来の日本人がなぜ論語を子供の

教育に用いたかが納得できます。

子供時代にこれを会得していれば、世の中はきっと変わります。

これは古来の話ではなく、その時代゛その時代に生きていて、どの時代であっても

通用する根幹のお話なのだということが、3度目の読書(しかも漫画・・)で判りました。

大人として、胸を張るにはちょっと恥ずかしいものがありますが・・。

そして、その端緒を感じると、途端にそれを読みたくなってくるのです。

「法華経」もしかり。ただ「立正安国論」は日蓮のあまりの烈しさに、ちょっとひいてしまい

ましたけれど・・。

もう一冊。島崎藤村の「夜明け前」

これにも惹かれました。馬籠宿本陣の主人の葛藤とヒューマニズムに同調というより

感嘆と驚異を感じました。自分の信じた正義が、正義と受け取られない現実の前に

心身を滅ぼしていく人の身の弱さと薄幸をもうすこし物語の中で感じたいと切に思うように

なりました。

おかげさまで、私ははいまはまだ大人です。(・・いやいや、ずっと大人ですけど。むしろ大人を

行き過ぎていますけど・・)

欲しい本は、なんとしても手に入れる方法があります。幸せなことです。

 

・・・・・・・と、ここで・・・・

娘の中二の長男。彼はいま私の蔵書を次々と読破しています。新刊本も「これ読んで

いい?」と次々と持ち帰っては読んでいます。

その彼に家人が

「あーちゃん今、これ読み返しているよ。君も読んでみたら?」と例のまんがで読破をざっと

10冊ばかり持ってきたのです。

彼は訝し気でしたが持ち帰りました。

 

本を読まないくせに家人はこういうことをするのです。

いくら漫画とはいえ、このシリーズをなんの知識も興味もなく読破していくのは

かなり難関です。

これが彼の読書欲に水を差さなければよいけれどとおもいつつ、どの本を

「これ、現物読みたいね」と言ってくるかと思ったら、ちょっとワクワクはしますけれど

あんまり期待はしないようにしておきます。

 

昨日読み終えた「葉隠れ」は、よい本ではありましたが中間管理職の手引き本みたいな

一面が見え隠れして、鼻についたわねと家人に言うと、厭な顔して通り過ぎて

行きました。

 

あぁ・・そうだった。家人の根っこは「佐賀」だったわ。

やっぱり、佐賀の男とはどこか、合わないのよねぇ。。。

 

 

 

 

 

 


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