めんどくさい女
明日が大寒ということで雪は多少収まったかもしれませんが、寒さはひときわ
厳しさを増したようです。
世の中ではオミクロン株とかの新参者のもののけが跋扈して、なんともいやな時が
続いています。そしてこの時期の極めつけは「雪」ですね。
ロマンチックで儚げで美しい象徴にもなる雪ですが、北の地の方々にとっては
なんとも厄介なシロモノでもあるようです。
先日もちょっとご紹介した川崎秋子さんの小説「絞め殺しの樹」にも描かれていましたが
内地の雪は水を含んでしっとり降り積もり、根室の雪は強い風に吹かれて積もることが
ないのだそうです。
時に家屋をすっぽり包んで温めてくれる内地の雪と違って、ここ(根室)の雪は・・
と描写されていましたが、雪かきをしないと悲惨なことになることは
今ではもう誰もが知っていることです。
そしてそのために、シーズンに何人もの人が命を落としていることも・・
昨日も、今日もそんなニュースを見ました。
そして、このへそ曲がりの魔女おババは考えるのです。
そういうかの雪国の人たちから見たら、ウィンタースポーツはどう見えるのだろうと。
スポーツマンの方々を毎度毎度敵に回して、いくら自分が運痴といえど、あんまり
ではないかというお叱りを全身に浴びながらも、考えずには、言わずにはおられない
のです。
個人の楽しみとしてのスキーやスノボーは結構でしょうし、記録への挑戦はヒトの
本能かもしれないとも思います。
でも、翻って、あんな高い処から飛び降りる。氷の上をあっという間に滑り去る
スラロームを優雅に曲がり切る。
これ個人としてなら、ありでしょうが、膨大な予算をかけて、怪しい彼の国や
遠い果ての国にまで行って、他と競ってなんになる?
その予算で、一人暮らしのお年寄りの家の雪かきを税金で賄うという提案は
なぜにない?
生きていくことと、スポーツを極めることとは同等なのですか。
前に、かの池江璃香子選手が病に倒れ、東京オリンピックが危ぶまれた時
彼女の祖母さんは「オリンピックになんて行かなくていい。生きていてさえ
くれたらそれでいい」と仰っていましたが、私はその胸のうちに共感して
鬼の目に涙・・となりそうでした。なりませんでしたけど・・
スポーツは生きがいという方がいることが私の想像以上に多いことは
なんとなく判ります。
命かけていると仰る方も、私の想像以上におられるのでしょう。
でも、でもですね。
命以上に大切なものがこの世にあるでしょうか。
極端な言い方ですが、100メートルを10秒で走って役立つことはなんですか。
42キロを二時間で走ってみせるのはメロスのため?
世の中のお金は回りまわっていることで成長を続けることでしょう。
そんなときに、何に使うかは、何を優先させるかは、どうやって決めて
いくのでしょうね。
声の大きな人や、力の強い人の命の綱はは太くて長い。声を出さなかったり、
従うだけの人の命の綱は細くて短い。そんなことがあってはなりません。
平等はすごく難しい分け方ですが、それは基本としてそれぞれが持っていなかったら
不公平の芽を育てるだけです。
こんな私の曲がりくねった考えも、時には必要になることも・・・
ないですか?・・・いやあるかもしれないと思いたい。
私が自分で必要と思った時に、自分の力の範囲で行える行動。
・・・・うーん判りにくいなぁという声に振り向いたら
家人がテレビ番組みながらつぶやいていました。
「ミステリ-という勿れ」
あとで私も見てみました。好きですねこういうストーリー。
めんどくさい人間って・・私好きです。←自分のことやからね(カゲの声)
。。。