信仰

2022年01月25日

さっぱり元気の出るような出来事が起こりません。

世の中は感染力の強いオミクロン株に引っ掻き回され続け出口は全く見えず

大寒前からの異常な雪と寒さは衰えをしらず、コロナに蹂躙された社会生活は

もう耐えきれる限界を越えて、そこここに破綻の声をあげるか萌芽が見られ、

地震や噴火や津波は、国境や距離を越えて切実に迫って、これって

地球の終わり??

 

私が宗教家なら、絶対そう思い、世の中にそう説いて回りますね。

「天は我々を見放したのです(八甲田かっ!)。選択される人種と生き物を

神様は選びたもうたのです(ノアの箱舟?)」などと彼らはそう宣うでしょうね。

 

ところが、そうして座して他人様の言葉を待つようには生まれついていない

のですよ。私は・・はい。生まれながらの偏屈者で世間では「へそ曲がりの魔女

おババ」で通っていますから、

神様といえど、私の身内でも親戚でもありませんから、お話はハイハイとお聞きする

ふりはしますが、受け止めもしなければ有難がることもありません。

 

もちろん寺社にお参りもしますし、初詣にはお賽銭も、私なりに奮発しているつもりです。

おみくじも大吉は嬉しいですし、凶を引いたら神社の木々の枝に括りつけて帰ります。

でも、それは長くそこに祀られる神様という歴史に対する敬意であって、詔やお念仏を

我が身に置き換えて、有難く精進する・・・なんてことはないのです。

 

この罰当たりめがっ!

何度も言われました。父にも母にも。祖父母にも。

でも私にはどうしても納得できないのです。

神様ともあろう方が自分の教えだけを正しいと教え込み、あろうことか

他教の教えを拒絶するなんてそんな狭い料簡とはとても思えないのです。

そう思った時から、一神教が信じられなくなりました。

 

亡くなってお経がなくてもかまいません。

戒名もいりません。もしあの世で必要不可欠と言われたら、自分で

名付けます。ずっと昔からつけたかったあの名前を。人が聞いたらあまりの

似合わなさにぷっと吹き出しそうなあの名前をこんな時にこそ付けます。

天国に行けなくても、地獄から拒否されても、その間でふらふらと浮遊して

生きていきます。あ・・死んでました。失礼。

浮遊してすごします・・でした。

 

だからお願いです。

誰にも邪魔されず、押し付けられず、制限されない元の世界をどうぞ

返してください。

お願いです。神様・・・って祈ってるじゃん(家人の独り言)。。。

 

 

 

 

 


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