余計なお世話なんだけど・・
いくつになっても人に注意するというのは難しいものです。
先日はニュースでも大きく報じられた、喫煙男に注意した高校生の受難がありましたが、
周囲の人は何してたんって、初めは思っていました。
でも、詳細が少しづつ判るにつれ、周囲も止めようとしていたとか、後々のために
スマホで撮影していたとか情報が流れるようになりました。
何もしなかった・・訳ではないですが、何かしたと胸を張れるような
状況でもなかったみたいですね。
顎を蹴られ踏みつけられ土下座させられた証拠のスマホ撮るより
体を動かす方が先でしょ。
証拠のためにとスマホを撮り続けるのは、後の言い訳も少しは入っていませんかと
お尋ねするのは嫌味ですか。
でも、家人が「どうやって注意するか、そのやり方もよーく教えておいてやらんと
ダメだよね。」と言うのを聞いて、久しぶりに意見の一致を見ました。
数少ない事象です。
話せばわかる・・これは今の世の中では決して通用しないのです。
ま、あの時も通用はしませんでしたけどね。もちろん515事件の犬養首相です。
そんなこんなの中で昨日のことです。
お昼タイムを取って、商店街をブラブラしておりますと、目の前に妙齢のお嬢さんが二人。
楽し気に語らいながら歩いています。
同級生でしょうか、体を寄せたり話したり、笑い合ったりでじつに楽し気です。
後ろを歩く私がふと見ると、左側のチェックの長いスカートの子の足元の靴紐が解けて
歩くたびに左右に揺れています。
自分で自分の紐踏んづけて、転びそうになった経験のおありの方はきっと
いらっしゃるでしょう。
私もそうです。
で、教えてあげようかとすぐに思ったのですが、はたと考えました。
彼女らは若い。それに身のこなしも軽々と爽やか。もし紐踏んでも転ぶなんてことは
ないだろう、華麗に収めるだろう。だとしたら注意は余計なお世話??
しかも、後ろにいるこのタイミングのどこでどう声かけるか・・と思ったら口数が少なくなったらしく
「どーしたの?」と家人が聞いてきました。
で、かくかくしかじかと話すと、うーんと彼も考え込んでしまいました。
そう、言うか言わないか。言うならどのタイミングと考えれば堂々めぐり。
言われたら恥ずかしくて、いやな思いするかもしれないしね・・あの年頃。
などと言わない理由を探しますが、やっぱり言わずにおれないのが私です。
後ろからちょっと肩を叩いて
「あのね、すごく余計なことかもしれないんだけど、右側の靴紐が解けているのよ。」と
言うと、彼女は「えっ。」と右足を見て
「あー。ほんとだ。ありがとうございますっ。」ととびきりの可愛い笑顔を見せて
道の端に寄っても靴紐を直しはじめました。
なーんだ、案ずるより産むがやすし・・なんて思いながらほっと一息つきましたが
いつの間に、こんな小さなことをちょっと注意することに気を遣い、
躊躇するようになったんですかね。
小さな親切余計なお世話が、笑って言い合える世の中は戻ってくるのでしょうか。
戻ってくるって、いつの時代がそうだったのよと問われれば、それが何時なのか
答えを持っているわけではないのですがね。
気持ちよく、私のお世話を聞いてくれたお嬢さん、ありがとうね。
私はそれだけで、昨日一日いい気分ですごすことができました。。。