フェイク
ロシアがウクライナに進行してから時間がたつほどにその残虐性がクローズアップされて
毎日、朝晩のニュースに流れています。
昨夜も首都に近い都市での攻撃や惨殺が映像になって流れてきました。
もちろんモザイク処理もしてありますが、なかなかに衝撃的なシーンではあります。
そして反面、ロシア人の案外多くがこの情報はウクライナの自作自演というプーチンの言葉を
信じています。
そして、信じているという自らの意志をテレビカメラの前で語っています。
プーチンお得意の「フェイク画像」は、いま誰でもが当たり前に作ることができ、その真贋は
ちょっとやそっとでは見分けられないそうですね。
でも、そうだとしたらこれがフェイクでないと誰が断言できるでしょうか。
日本のテレビ局が、騙されてこれを放送している可能性は絶対ゼロなのでしょうか。
日本の片隅のへそ曲がりのおババは考えてみたのです。
ロシア人とウクライナ人との区別はつくの?
代々入り混じって暮らしてきた彼らに区別があるの?
いま敵と味方の区別ができるのはヘルメットに付けた国旗とか、戦車に貼り付けられた
国章とかでしかないんでないの?
もしも、もしもですよ。それをすっかり取り替えていたら、極東の私たちの目にそれが
ロシア人かウクライナ人かの区別ができるの?
そう思うと、人間の目の不確かさに慄くのです。
間違えないでくださいね。
私はもちろん戦争反対で、プーチンのやり方は非人道的などという言葉を越えていると
思っています。
ただ、愛国的ロシア人に中に、プーチンの言う事を信じる人たちが一定数いることも判ります。
だって70数年前の日本人がそうだったのですもの。
私たちは戦争体験がなくても、そういう話を親や祖父母から聞いている世代です。
人は、いえ少なくとも日本人はいとも簡単に英雄的な正義感的な言葉に騙されるし
乗せられるのです。それは日本の昭和史を見れば誰にでも判ることです。
それが怖い時代だと思います。
ニュースが本当かどうかが判らない時代。それって嘘の勝利ニュース流し続けた日本軍と
どう違うのでしょう・・。
歴史は繰り返すという言葉の意味がひたひたと迫ってくる恐怖を感じます。
いくらグローバル的な事を口にしても、形を少し変えているだけで、人の本性も悪意も
全く違ってはいないのです。
中身は、騙されやすくて自分に都合の良いことしか信じない。
あまりに非力ながら、自分は決してそうはならないでおきたいと、こんな時世だからこそ
強く思います。
このままのへそ曲がりで一生を終えたいと今は心から願います。。。