2022年05月26日

最近の夜はルーティンが増えてなかなかに雑然としています。

まず夕飯時に私はだらだらと家飲みを続ける家人の訳の判らぬ言い分を

悉く看破し、同人をアルコール中毒の淵から毎夜かろうじて救っているのです。

当人はそんな私の正義を露とも知らず、自分がいないとこの家は回らないなどと

嘯き、あろうことかこの私に説教まで垂れようとするのです。

バカな・・酒飲みの説教を黙って聞くと思うかっ。返り討ちにしてくれるわっ。

などと、騒がしい時間を過ごしてから、家人は後片付け、私は一日の出来事と日記を

認めるのです。え?出来事と日記は同じではないかと?

 

いやそれが、私の日記は5年日記なので使用欄がかなり小さいのです。私にしては。

そこには十分に書けないこともあって三年ほど前から、サブノートを使っています。

これが無印良品のなかなかの優れもので、最初は息子が使っていたのを見て、なかなかいいなと。

そのノートには日記以外の、例えばコロナ全盛期には自分の行動を逐一書き残しておりました。

もしも、罹患した場合、自分の行動を二週間遡ると言っていた頃です。

昨日の記憶さえ自信がないのに、二週間なんてむりむりむり・・・で、考えた苦肉の策です。

これはなかなかに便利で、周囲から「よーやるわ」と絶大なご支援をいただきました。

・・・・本心は今もって不明ですが・・・・・・

 

 

で、まずはこのノート。そのあとが日記です。

前は次の日に書いていたのですが、これも記憶に自信がなくなると、もうその日のうちに

書いておこうという防御本能です(笑)

それが終われば、一番新しいルーティン。そう俳句を二句詠むこと。

これも課してしまえば、なかなかに大変な時もあって、歳時記を片手に苦行の刻もあります。

そんなこんなしているので、三日に一度の踏み台昇降運動もおざなりになり、いまや

この夜の時間をどう有効利用するかは私の命題です。

 

そんな昨日のことです。ラストファミリーというタイトルだったでしょうか。

瀬戸内海の志々島がテレビで取り上げられていて、そこにUターンして帰った男性の

奥様が「ここの樟の木見た途端、私ここの住むって決めちゃったんです」と紹介していた

樹齢1200年とかの樟の木。

小さな島の奥とも言えない処に、ずしんと根を広げたその姿は、確かに得も言われぬ

威厳があって、そのまま目の前にいたら、言葉もなく立ち尽くすであろうことは判りました。

そしてそのあとで、私の胸に迫ってきたのはその2.3日前に見た桜の大木の姿です。

同じように樹齢1200年と言われて、周囲の人たちが皆さんで手入れをし、あちこちに添木を

施してその桜は大きく枝を張り、その時期にはそれはそれは艶やかな満開の桜の世界を

楽しませてくれるのだそうです。

そうでしょうとも。

 

それを目当てに見物にこられる方も多いとか。私の行くでしょう。近ければ。

でも、たくさんの添木に支えられ、自らの枝を支えきれない大木として生きる1200年は

さぞや辛かろうとその時の私は思ってしまったのです。

根元の大きな洞は確かにこの巨体を支えきれるものではないでしょう。

そして自分の周りの桜を思い浮かべても1200年もの間咲き誇るなんて「美魔女」ならぬ

「美魔桜」?

 

この樟の木を見て、その時の違和感の正体が判りました。

この木(樟の木ですね)は、まだ生きている。自分で呼吸している息吹が周囲に漂っているのです。

人に与えるパワーが凛々としている気がするのです。寿命を謳歌しているような気がするのです。

それに比べて桜は生かされている。

まるで、体中に管を通されて、延命治療を受けているような、そんな姿に見えるのです。

ですから、桜から放出されるエネルギーは、凛々とはしていません。

妖しげな、朧げなそんなパワーです。

美しい桜をいついつまでも楽しみたい人間の欲望が、その正体なのかと思ったり

してしまうのです。

1200年生かされる桜は、幸せなのだろうかと・・

 

来年こそは「醍醐の桜」を見に行こうかと思っている私ですが、いざその時になったら

やっぱり怯んで、なにかと理由をつけて行かないことにする・・ような気がします。。。

 


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