ご冥福をお祈りします。

2022年07月12日

夏が来たと騒いでいるうちに時間が矢のように過ぎていきました。

世間の皆様が利用している「県民割り」とかを利用しょうと先週は

高知県四万十市に行って参りました。

このあたりはちよっと前までは仕事で走り回っていたのですが、寄る年波を鑑みて

活動エリアを少し整理したものですから、最近はずっとご無沙汰しておりました。

で・・とおもいたった途端

「安倍元総理大臣 凶弾に斃れる!」です。

 

それはびっくりしました。ネットで第一報に触れた時は、発砲された・・くらいの

軽い受け止めが「心肺停止」になって、ドクターヘリになって 緊急処置になって

亡くなられたと、まるでスパイ映画のワンシーンのような展開。

 

それからはもうマスコミは「元総理斃れる」ばっかり。

どのチャンネルも新聞も同じような記事を同じような時間帯に流して、顔だけ違う

コメンテーターたちが、結局は同じことを、違う言葉で発言している絵面ばっかり。

「偉大な政治家の死」という論調はほぼどこも同じです。

昨日まで、奔放な奥様の行動を皮肉っていたネットでさえも

「悲痛、昭恵夫人」とか「気丈に対応」とか賞賛の嵐。

 

もちろん私にも、亡くなられた方への敬意も礼儀はあります。

それを否定はしませんが、彼ほどの公人であれば、毀誉褒貶は人の常。

功績の大きさに比例して、その正義に反することも多々ありました。

今それを詰ろとは思いませんが、ふとこの報を聞いた「赤木雅子」さんは

今、どう思っているのだろうと考えてしまったのです。

 

安倍元総理はお気の毒なことになりましたが、その路傍に花を山ほど手向けられ

世界中から功績を称えられ、弔問され、遺族はその一挙一動を礼賛されるこの

現実をご自分の時と比べてみて、どうお考えになっていらっしゃるかなと

思わずにはいられないのです。

 

日本では「死人に口なし」とか「死者礼賛」とか、とかく亡くなってしまった方に

悪いことは言いません。それが犯罪者であってもです。「死人に口なし」はあまりいい意味では

ありませんが、浅学ゆえの選択です。お許しください。

 

そうすることが、日本人の美徳といえばそうなのかもしれません。

でも、その人の辿ってきた道を振り返ると、肉体や精神の死屍累々が見えていたと

しても、それには目を瞑られるのです。

特に、今回のような亡くなられ方をした場合には・・

 

今、かの方を責めよと言っているのではありません。

今は、喪に服すべきで、ひたすら死を悼むことは大切であろうと思います。

でも、事が少し収まって、この事件を振り返った時、今日悲痛なコメントを残した

ワイドショーのコメンテーターたちがこんどはどんな手のひら返しをして

くるかのか、それとも死者に鞭打たずを貫くのかを見極めたいものです。

 

凶弾に斃れたとはいえ、それはかの方が公人だったからです。そしてその死の一歩手前まで

その挙手は世間に晒されるのです。そして後世も「日本の安全神話を打ち砕いた事件」として

5.15事件のように語られるかもしれません。

その時には、功績は称えられるべきで、愚挙は考察されるべきでしょう。

安倍元総理の死の前には、赤木さんをはじめ何人かの痛ましい死もあったことを

私は忘れないでおこうと思います。。。       合掌

 

 


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