八月の呟き
八月になってもやっぱり暑い。当たり前です。夏の盛りなのですから暑いに決まっています。
私だって、そりゃあ人並みに暑いと喘いてはいますよ。いますけれど、寒いのとどっち?と
問われれば、躊躇なく暑い方を取るのは、まだまだ私が私でいる証拠でしょうね。
まだまだやれるぞと心秘かに喝采あげているのはひ・み・つです。
それにしても、このブログでもたびたび繰り返している「コロナ禍」というこの言葉。
まだ当分、離れていきそうにはありませんね。
三年間の無為無策を棚に上げての昨今の「有識者会議」のおエライ方々の発言には、もう
呆れ果てて、批難の声もでません。
結局、自粛も自制も、してもしなくてもよかったんじゃない? と後世の人々に語り継がれたら
「はい。その通りです」と言うしかありませんね。
ロックダウンした欧米。マスクを外した欧米。海外旅行を再開した欧米。その間に拡大が広がって
それみたことか。マスクしないからなんて論調のマスコミ報道でしたが、今やマスクして汲々と
暮らす日本の方が罹患者は多くなっています。
医療が逼迫してと、その度毎に語られた言葉の本当の意味は、誤解を怖れず言うなら「医療費が
ただ」だからです。それが悪いとは言ってないのです。
日本は手厚い医療を受けられる最先端の国家であると、誇りに思ってももいいでしょう。
でも、それが乱受診に繋がっていることも一面の事実です。
何十年か前に、はじめて老人医療費が無料になった頃、病院の早朝の待合室で顔なじみの人が
受診にきていないと「あの人、今日いないね。」「あ、体調悪いらしいよ」なんて
ブラックジョークみたいなことは言われてましたよね。
あの頃から、病院は高齢者の社交場になって、治療したり受診したりする場所ではなくなったのです。
そんな土壌の日本人ですから、コロナは無料。行きますよ。病院。ちょっと体調がおかしいなと思ったら。
一人暮らしの罹患者は、自宅にいるより入院を望むでしょう。
こんな風に書くと、「やっぱりここのおババは悪魔だわ」「なんて酷いこと言うのよ。やっぱり鬼ババね」
なんて声が、すぐ隣からも聞こえましたが、悪魔上等。鬼ババ結構ですよ。
病気の人や困っている人を助けることは、必要ですし、美徳です。
でも、それにも限界と許容があって、それを外してまで行うことは、愚行であり暴挙にすぎません。
すべての患者を一都市に一つぐらいの保健所を通して管理するなんて、もう一年もしなくても、それが
いかほど無謀かは私でも判ります。
綺麗事ばかりを最初にぶち上げるから、後が続かなくなるということを挫折を知らないお偉い方々は
ご存じないようです。
三年間、同じ対処して同じ流れで解決してまた再開して、その度に被害は大きくなって・・・これって
子供に教えるときは「無為無策」というのではありませんかね。
来るべきに備えるということが、この三年間で何もできないでいて、この未曽有の罹患者数に慄いてか
いまさら「個々の見解に任せる」なんて、尾身会長、どの口が言う?
お立場もあって、思いの十分の一も百分の一も仰れないのでしょうが、肩書の責任と重責から考えれば
非難されても甘んじて受けなければならないのではありませんか?
・・・ご親戚、お身内がいらしたらごめんないさね。世間は狭いので、たまーにこういう
不運なめぐりあわせもあります(笑)
なんて、急に思いついたわけではありません。
この三年の、我慢と辛抱が昨今のニュース報道をみていると、抑えられなくなってきたのです。
・・・え???・が、我慢と辛抱・・そりゃあなたの辞書にはどちらもない言葉でしょうと
呟いた家人の身の上に、神罰が落ちるように今夜はいのりつつ眠ります。。。