吐息

2022年08月30日

コロナの先行きがさっぱり見えません。

今更ながら、混沌の沼に入り込んだかと思うばかりです。

三年も同じ病気にいいように蹂躙されながら、効果的な手立てはなにも

果たせず(ワクチンについては評価しますが、それとてもこの三年の月日の

重さに比べると、効果の軽さを思うのは私だけでしょうか。)

十年一日のごとく、日々の感染数をマスコミに流し、マスクを呼びかけ

個食を推奨し、学校を休校にして、職場をリモートにして・・・それで今

何が残ったのでしょう。

もしも、それらを行わなかったら、私たち人類は全滅してたでしょうか。

 

それはないですよね。

もしそうなら、今マスク使用率世界に冠たる日本よりも先に、欧米諸国が絶滅して

ロシアはウクライナ侵攻どころではなかったはずです。

言うだけ言っておいて、政府は地方に丸投げし、一部の新進的な知事さんを除いては

周りを見定めながらでは決して自分からは動こうとはしない地方の首長さんたち。

綺麗事と理想論を誰彼かまわず押し付ける「良識者委員会」なるもの。

医者は医者の立場で、経営者は経営者の立場で、労働者は労働者の立場で・・

「多様性」などとはただのスローガン??

 

今ここに至っても、右往左往している指導者たちの顔が、日々間抜け面に見えるのは

私の根性がひん曲がっているからでしょうか。

・・・ま、多少曲がっていることは自覚しておりますが・・

世の中で決まったこと、他人に迷惑をかけないことはしない。これは人が生きていく

上での最低必須条件であることは疑いないことですが、人に迷惑をかけるから・・と

いう言葉の奥には、身動きさせないぞという、眼に見えない縛りが隠されています。

人の迷惑になるからと、自制される姿勢はご立派ですが、それを他人に向けてはいけない。

人の認知の容量の大きさはまちまちです。

みんな、あなたと同じ大きさではないのです。人に自分と同じ価値観を求めては

いけないのです。もしそれが、納得できないというのなら、自分が人との交わりを

避けるべきで、わざわざ糾弾すべきではないのです。

昔の人はそういう人を「お節介」と呼びました。でも、いまはそんな愛嬌のある言い方は

とても似合いません。

ともすれば人を非難することで、自分の正義に酔いしれているのかもしれません。

 

私は、自分のことが何よりも好きな人間ですから、たぶん人様よりは自由に生きてきました。

なので、なるだけ人様の生きざまには口を挟まないように努力しております。

そうは見えないという声もちらほら聞こえますが・・

 

コロナが置いて行った禍の種は、三年の間に深く、太く、根を張っていったようです。

こんなものに負けてたまるかっ!と、

地方の片隅に生きるへそ曲がりおババは今日も悪態ついています。。。

 


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