綴る女
なにを隠そう・・いや、それほどのものでもないのですが、この三月に、夏井いつきさんの
俳句ライブに行ってからと言うもの、毎日俳句を実践しておりまして、しかも一日二句を課しておりますので
おおよそ120句ほど書き溜めております。
毎月の終わりにそれを整理するのですが、これがまた一苦労で、まず日々二句の中でどちらかを
選び、選んだ30句の中から10句を選び、その中から3句を選んでおります。
もちろん自分で詠んで、自分で書いて、自分で選ぶという「自己完結型」の典型なのですが
これがたいへんであり面白い。
日々作っている時は、呻吟する日も多いのですが、いざ選ぶとなると、これがなかなか困難。
他人様が見れば「なんと駄作」と笑われようとも、自分の詠んだ句は愛着があって、
切ることができないのです。
月の終わりはそれで1.2時間ほどはも悶えていますが、最近は少し自分を冷静にみられるようになったのか
切り捨てる方が多くなって、このままでは30句が残らない?状態に陥りそうです。
これだけの量を詠むと、さすがに少しは良し悪しが判ってくるのか、鼻高々にこれを詠んだときの
自分に恥じ入るのです。
もともと私は5年日記を毎夜認めていますので、俳句が入ってもどうという事はないのですが
自分が生来、何かを書きつけておくということが好きなのだなぁということは実感しております。
母親としては、毀誉褒貶いろいろありますが、唯一いま私が誇れることは、息子も娘も手紙や
文を書くことを苦にしていないということです。
あえて躾などしていなくても、いつも家事もしないでペンを持って机の前に座る母親を見ていたら
「書く」ということが自然になったのでしょう。
名文や達文は書きませんが、人様にご挨拶の手紙やはがき、お詫びやお礼の分は、なんの痛痒もなく
すらすらと綴っております。
しかも、私にそっくりの字面で(笑)
これで十分です。なんの苦も無く文が綴れるということは、自分の記憶を自分の手で残すことが
できるということです。こんな幸せがあるでしょうか。
息子よ、娘よ・・
珠には君たちの母の良い処も数えてみてはどうだろうか。。。