世界はひとつ

2022年09月05日

今朝、出勤前にNHKを見ていると、世界の人口は減少しているのにアフリカの出生率は

激増している。このままでは遠からず世界の人口の半分以上がアフリカの人たちで

占められると危機感一杯に開設している東京の大学の先生がいらっしゃいました。

 

女性一人に占める出産割合が日本が低いのは知っていましたが、中国は日本より低く、韓国は

さらに低く、最下位なんだそうです。

これはには、さもあらんと納得する私ですが、いずれ世界の人口の半分をアフリカ系の人たちが

占めて何が悪いのでしょう?

出生率が低下した国と、増加した国があるなら、将来的にはそうなるのは当たり前のことで

日本人を含む東洋系の人や白人系の人たちが、減少して有色系の人たちが増えたら

何が困ります??

日ごろグローバリゼーションだとか、世界はひとつなんて甘い言葉を弄しているいわゆる

デキ系の人たちの本音はこれ?

と、思った私はひねていますかね。

歴史を見ても、次の順番はアフリカ系の人たちの出番でしょう。

 

番組によると、アフリカはいま、荒野を切り開いて食料自給に励んでいるそうです。

そしてそのためには労働力がいる。労働力とは即ち働く人間であって、その本能のままに

子供を産み育てているのだと。ちょっと乱暴ですが、その先生の論は概ねこんなところです。

分かり易い論理ではあります。

そしてその出生率の高揚は「一夫多妻」にあるというのです。

10代から40代の女性は、子供を産むことを課せられている。産んで、産んで産んで・・

現代のあれ系女性たちからは悲鳴と怒号が降り注ぐような論理ですが、これも

総論で考えるなら一理はありそうな・・

 

その土地にはその土地の、事情と環境があります。

子供を産み育てられる環境と、育てられなくても産まなくは生きていけない環境。

どちらが子供をたくさん産むかと言えば。もちろん後者でしょう。

 

出勤時にそんな話をしたら家人が昔、自分の近所に八人兄弟がいた。

家は荒れ放題で、いつも兄弟げんかしてたけど、大人になってもみんな碌な人間に

ならなかったなぁとしみじみ言います。

 

私も幼い頃の同級生に在日の子がいました。彼女は9人兄弟のの7番目。

冬はあかぎれの手を真っ黒汚れた雑巾バケツの中に入れていたことも鮮明に思い出します。

昔の子は残酷で、そんな彼女を足ひっかけて転がしたり、臭い(お母さんが養豚業をしていました)と

はやしたりしていましたが、反論することもなく、黙々と拭き掃除をしていました。

でも、彼女の1番目と2番目のお姉さんが相次いで中学を卒業して、都会のスナックに勤めはじめると

彼女の暮らしぶりは目に見えて華やかになりました。

近所の大人の話では姉たちはかなりの額を仕送りしていたようで「子供をたくさん産んで、そのときは

大変でも大きくなったらこうして返してくれるんや」と、今、聞いたらお伽話みたいなことを

当時の大人たちはいっておりました。

でも、そうしていたら3番の子であるお兄さんは働かなくなって、4番目の子のお兄さんは反社の

人間になっていました。

彼女も中学卒業と同時にお姉さんを頼って都会に出て行きましたが、下の妹二人は、ずっと自宅に

籠ったままでした。

こんなことを見ていると、幸と不幸はやはり順当に訪れるのだなぁと思います。

子供が多くても少なくても、親からしたらそんなことは何ほどの事でもないのでしょう。

現に彼女のお母さんは、どんな時もずっと養豚業を続けて、その仕事の最中、交通事故で亡くなり

ましたが、私は彼女とそのお母さんのことを忘れたことはありません。

彼女らが何をしてくれたとか、何をしたとか言うのではありませんが、それでも

私の中の忘れられない人たちです。

私に何かを教えてくれた人たちです。

 

そんなことを考えていると、世界中がアフリカ系の人になっても、かまわないのではないかと

私は思っています。

その中には白人や東洋系の人種との混血も少なからず混じっているでしょうし、そうなった時に

はじめて世界はひとつになるような気がするのです。

 

ただ、一夫多妻はちよっと困ります。

これは、わが社の根幹を揺るがせる難事です。これが世界中で認められる、我が業種の仕事の

半分はなくなるでしょう。

それは困ります。。。

 

 

 

 


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