女王陛下に捧げるはずが・・
エリザベス女王陛下がお亡くなりになって、その棺がロンドンに帰ると、弔問の
市民が四キロもの列をなす・・などと女王陛下のご崩御は世界中にまだまだ
影響を与えているようです。
そりゃあそうでしょう。こんな極東の田舎の片隅の私でさえ、数多の女王陛下の逸話は
存じております。ご崩御は世界の今年の10大ニュースのトップであってしかるべきでしょう。
そんな中で投じられたカーネギーメロン大学の准教授ウジャ・アーシャ氏のメッセージは
強烈でした。イギリスがその強大だった力を鼓舞して支配下に置いた多くの植民地。
大戦後に独立という形を取ったとはいえ、いまだに貧困と差別の中にあえいでいるアフリカの
国々。その人たち目線の弔意とはこんなもんよっ! と、イギリス王室に喧嘩売ったようなものです。
ても、何代目かのイギリス首相が「世の中に信じられる女性は二人しかいない。一人は妻で
もう一人は女王陛下」と語った逸話を聞きましたが、その言葉には何万という語るに語れない
政治の裏側や暗躍があったことでしょう。
秘密を守るということでは超一級のエージェントでもあったわけです。その秘密をお腹の
中に溜めたまま生きて死んでいくのは並大抵のことではなかったでしょうが、アーシャ氏の
論法もある種、尤もと頷くところもあるのです。
誰の立場でものを見るかということになりますよね。
畏れ多くも昭和天皇も、お立場は同じです。亡くなられた時国民は弔意に沈みましたが、
第二次世界大戦でいわれなき迫害と侵略を受け、あまつさえそれで亡くなったご親族を
おもちの彼の国の方々は、単純な弔意というわけにはいかなかったでしょう。
亡くなられた方に罪はないというのが古今東西の生者の弁ですが、それはチャラになることとは
違うのではないかと思います。
ご葬儀や、死去の発表はその総括の場であってもいいのではないかと、私は思います。
良きも悪きもあってそのの人の人生です。
それは女王陛下であっても、為政者であっても、我々市井の人であっても同じです。
その上で悼み、評価し、省みることが本当の「弔意」ということではないでしょうか。
毎朝、英王室フェチの「太鼓持ち解説」を垂れ流すテレビの前にいると、
私はアーニャ氏の訴える声を聞きたくなりました。。。