梨泰院の悲劇
今日は11月1日です。
娘の長男の誕生日でもあります。彼が五才になるまで私は毎年誕生日に長々と祝辞文を書いて
贈っていましたが、それも今思い返せば自分の気持ちを満足させるだけの自慰行為みたいなもんです。
彼にとってはゴミ・・とはまでは言いませんが「チリ紙」くらいのもんでしょう。
いやいやZ世代に「チリ紙」はもう死語でしょうね。
昭和は遠くなりにけり・・です。
ともあれ「Sよ!お誕生日おめでとう。君の将来に幸多かれといのります。」と一応の祝福メールを
送っておきます。
彼が幸せになるかどうかは、彼自身の手にかかっています。
親ならともかく、私の立場でとやかく言う事はないでしょう。
ただ、人生の先駆者としての意見なら、山ほどもありますけどね(笑)
ところで土曜日の韓国のニュースには驚かされましたね。
あんなにも多くの人が、押し合いひしめき合って亡くなるなんて現実の出来事とは思えませんでした。
一平方メートルに大人が10人。実験していましたけど、どうやったら居れるのかと実際に見ると
困惑しかありませんね。
ずっと昔、まだハロウィンなんてものが日本のどこにもなくたれにも祝われなかった時代に、
渋谷のスペイン坂にラジオ局があって、そこに郷ひろみさんが来ているというニュースが現地で
流れたことがありました。
スペイン坂は昔からあの通りの狭い道で、しかも坂道。
たまたま渋谷を歩いていた私も、一瞬行こうかと迷いました。が、当時は今よりもずっと尖っていて
そういうミーハーな行為(田舎者が渋谷歩いていること自体ミーハーなんですけどね)を、軽蔑して
いるようなところがあって、近寄らなかったのですが、後で聞くとそれは大変な人出で、えらいことに
なっていたそうです。郷ひろみさん全盛期ですから、さもあらんです。
そして幾星霜。
日本にもハロウィンなどと、西洋の仮装大会がすっかり定着し、渋谷はその聖地と化し、若い人が
その中心とはいえ、家族連れや三世代で仮装して練り歩く時代がやってきました。
その派手な祭りがコロナで三年自粛され、それが解禁になったのです。その反動は、いかようであったかは
容易に想像がつきます。
もちろん、お隣の韓国もそれは同じでしょう。
それにしても立ったまま意識を失いそのまま息絶えるというのは、かなりすさまじい状況ではないですか。
ある種、リンチや拷問をイメージしてしまいます。
そこに集った人たちは、楽しいことをやりに来て、素敵な時間を共有しょうと胸を躍らせてやってきて
この修羅場ですから、その落差に息絶える時、何を思ったことでしょう。
20代の若い人がおおいこと、女性が多いことなどを、ニュースで聞くたび、胸が痛みます。
それにしても、人のパワーとは恐ろしいものです。
翌日の朝、現場で花を手向けたり、祈りを捧げたりしている人の姿を見るとこちらも敬虔な
気持ちになりました。
にしても、アホなのは日本の彼ら。
ハロウィンに同じように渋谷に集まり、路地に流れ込み、人波にもまれて騒ぐ彼ら。
彼には「学ぶ」ということがないのか。
対岸の火事と思っているのか、オレたちだけは大丈夫という謂われない自信をもっているのか
昨日の韓国のニュース見たか? と、一人一人の襟首掴んで問いただしたい気持ちになりました。
失礼を承知で言いますが、こんな彼らでも日本にとっては貴重な若者です。
将来の夢です。若気の過ちで同じような過失を重ねて、もしものことがあったら、それは
やっぱり悲しいですし、残念です。
こんな彼らという表現が気に障ったらごめんなさい。でも、日本の多くの若者は
こんなところには行かず、それなりの過ごし方をしているのです。
お祭り騒ぎが悪いとは言いませんが、また来年もその次もくるお祭りの中の一回くらい
同じように愉しみたかったけれど、それが潰えた同世代の若者のために、気持ちを捧げても
罰は当たるまいと、この口出しが止まらない魔女おババは思い嘆くのです。
人には優しくしましょうとここまで綴った時、これを覗き込んだ家人が
「自分でその文をよく咀嚼してくれ」と呟いたことを私は聞き逃しませんでした。
この後、十分に話し合うことになるでしょう。。。