戦争とスポーツ

2022年11月21日

世の中はカタールで行われるワールドカップに盛り上がっているようですが、私にはこの

興奮がどうしても馴染めない。

地図帳を広げたら、カタールのすぐそこではロシアとウクライナの戦争は日々続いているのです。

ニュースにしても、朝のワイドショーにしても、ウクライナの被害のあと、何もなかったかのように

ワールドカップに熱狂する世界の人々の様子をじつに楽し気に報道しています。

これ同じ世界の出来事ですか。

 

私はよくここでスポーツ否定論じみたことを書くので「またか・・」と思われる方もいるでしょうが

それでも戦争報道を悲壮な顔としぐさでしていたアナウンサーが一転、にこやかにワールドカップの

ニュースを始めるこの落差に違和感が募るばかりです。

常々、世界はひとつなんて言っているのは、あれは単なるお題目??

 

各地域での紛争を論うのは難しいにせよ、いまウクライナ問題は世界の命題ではないですか。

そのウクライナではこの戦争で命をなくしたスポーツ関係者は150余人いるそうです。

日本だって硫黄島に散った西竹一氏はあまりに有名ですよね。

そんな先訓があるにも関わらず、あれはあれ、これはこれと割り切ってスポーツのお祭りに

没頭できるのでしょうか。

 

最近のスポーツの祭典はきな臭い匂いで一杯です。

カタールにしても、この祭典のために劣悪な労働条件の人たちが何人も犠牲になっていると

報道されていました。

極論といなされるのを承知で書きますが「ワールドカップがそんなに偉いかっ!」

 

世界中の若者が(私はそうは思いませんけどね。世界中とは・・ね)熱狂するとスポーツ関係者は

よく言いますが、ほんとにそうなの?

実際に熱狂する人は多くいるでしょうが、そうでもない人たちをその渦に巻き込もうとしているのは

正義も理性も倫理もなにもないマスコミの拝金主義じゃないですか。

煽れば盛り上がると思っているマスコミの罪は重いです。

 

ワールドカップなど、ウクライナが終結したらやればいいのです。

その時は何日もかけて、自国のために応援の宴を延々と続ければいいのです。

勝利の美酒も敗戦のくやしい酒も浴びるほど飲めばいいのです。

でも、それは今ではないでしょう。

各選手の選手生命やタイミングは確かに微妙になってくるでしょうけれど、選手であっても

その前にまず一人の人間です。

人としての生きる道の正義の方が尊いとは思いませんか。

 

もしも、私が選手の母で、息子が人としての倫理の道を選んだなら、私は全身全霊で褒めてやりますね。

そして息子の選択を私のできるかぎりのことをして世の中に知らしめてやりますね。

それは蟷螂之斧であったとしても、母としてなによりも誇らしい。

そしてそれを誇りたい。

 

残念ながら私にはそんな息子はおりませんけれど、隣では家人が「そんな息子がいなくてよかったよ。

いたらきっと我が家に血の雨が降る」と呟いております。

まさか、そこまではないでしょうが、皿や台拭きや、もしかしたらカップも飛んでいたかも

しれません。

体力的に日々不利になる自分の勝てる道はそれしかないことに今更ながら気付いた

私の戦闘方法です。

上手にそれをかわされると、ますます怒りのボルテージは上がるのですが、気持ちは収まります。

我が家の平和はまず何もないテーブルにつくことから始まるのです。。。

 

 

 

 

 


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