日常
毎日二句はまだ続いております。
夕飯が終わってテーブルが片付くと私は寝室からノート二冊と五年日記、俳句用の日記、歳時記
俳句教本を持ってきて広げます。あ、大判のスケジュール帳もありましたね。
まずスケジュール帳に今日の食事メニューを書き込んで、これからの諸事の予定を書き込んだり、
見直したりします。
その次に日記。前は翌日に欠いていたものを最近は夕食後に書くようにしています。これももう
廃番になって来年からは同じ仕様の三年日記になります。
使い慣れたものがなくなるのは寂しくもあり、悔しくもあるのですが、よくよく考えたら、いつも
欄外に書き綴っている私には、三年日記の方があんがい重宝するかもしれないと思ったりします。
それが終わって、今日の二句。このためにノート一冊は使います。
下書きや添削や校正で書き殴って仕上げたものを俳句用の日記に書き写します。
これは一か月見開きでその日の欄に二句づつ書き足していきます。
一か月が終わったら日々の二句の内のどちらかを選び、さらにその中の10句を選び
その中で三句選んで月の終わりとするのを、自らの学びの結果としています。
そしていよいよ、最期に俳句教本を開きます。復本一郎先生が大学で学生相手に講義したものを
新書で出したものなのですが、これが面白い。
ぐいぐいと引き込まれていきます。
プレバトの俳句も好きですが、もっと知りたい。もっとやれるようになりたいと思った
自分の欲求をどれが満たしてくれるのかはまだ判りませんが、この本が最初の足掛かりであることは
間違いなさそうです。
これが日々のルーティンで、この時間がささやかな私の楽しみの時間です。
こんな私の日常をお話してもなにも面白いことはないでしょうけれども、この俳句まずは
雅号を決めなさいと夏井先生も書いておられます。
私も畏れ多いと思いながら、考えました。
洒脱でウイットに富んで素敵な雅号。と、思えば思うほど泥沼に落ちたように足掻きもがき
迷うばかりで少しも決まりません。
その時、学生時代の私の友人が「ほら、あのころ〇〇〇式部なんて付けてたやない」と
笑っていたことを思い出しました。
マジで思い返すと、笑うしかないのですが、私にはこれくらいの軽さがいいかと思い定める
ようになりました。
洒脱でも素敵でもありませんが、名は体を表すと言うではありませんか。
今の私にはなかなかお似合いではないかと自分で納得して、それにしょうと決めました。
もちろんここでご披露はいたしません。当然です。
そんなことすれば道を歩けなくなります。ですからこの名前は私心の奥にひっそりと
仕舞いこむ名前です。
私にも、こんな恥じらいの心があることを判っていただけたら幸いです。
・・・何が幸いかは判りませんが・・・