義理の仲

2022年12月21日

今朝ほど娘から電話があって、私のかつての義母が亡くなったとの知らせを受けました。

私が嫁と呼ばれていた時代は夫の母のことは「姑」と呼んでおりましたが、最近は「義母」

相手の家を「義実家」と呼ぶのだそうですね。

どちらでもいいですが、確かに字面からして女に古いは言い得て妙ではありますが、あまりに

失礼な表記でもありましょう。

 

私は夫が亡くなってから、もう義実家とはかかわりを断っております。

もちろんそうなるには、それだけの理由が私にはあったのですが、それは向こうには

伝えておりませんので、向こうからしたら私はさぞや身勝手で恩知らずの嫁と言う事に

なるでしょう。

ま、身勝手と誹られるのは、慣れておりますのでなんともないのですが、恩知らずと

罵られたら、ちょっと反論するかもしれません。

ともあれ、私は夫が亡くなってから、自分でぷつんと糸を断ちました。

爽快です。縺れて撚れた糸がもう解けることを拒否してか諦めてか、最期の手段とぷつりと

断たれた時、私は自由を得た気がしました。

 

こんな私のような性格の女でさえ、嫁や姑、義理や配慮に振り回された時代はあったのです。

もともと、諸手をあげて受け入れられた嫁ではありませんので、それも尤もとは思いますが、

自称遅れてきた全共闘の女の嫁入り先にしては、ちょっと昔気質が残りすぎていたようです。

そけでも、我慢しましたよ。夫はその時代には珍しく、なかなかの愛妻家で常に私の側に

立ってくれましたが、心の奥底では自分の両親がそんな底意地の悪いことするはずがない。いや、

悪気はないのだと思い続けていたのだと思います。

 

なにかトラブルがあった時、必ず私の味方をしてくれますが、最後は両親と笑いあって終わるのです。

それは親子なんですから仕方ないと、今ではよく判りますが、若き日はそうは思えなかったですね。

哀しみに流す涙はありませんでしたが、悔しくて零す涙はありました。

 

夫が亡くなって、私も死んだと思い再び蘇った時に、私はその柵の殆どを捨てましたがその中に、義実家も

当然入っています。

息子や娘には祖父母でもありますし、もう大人の彼らがどう付き合おうとそれは彼らに任せますし、

子供として亡夫がしなければいけないことは私が代わりにします。ただ、私から関わりません。

このスタンスで20年以上がすぎました。

義父が死に、今また義母が死んで、私のなかの区切りがぷつんと音をたてました。

 

思えば、先週あたりから娘と「ばあちゃんどうしてるやろね」と噂しあっていましたが、今思えば

これを虫の知らせと言うのでしょうか。

10年ほど前に義父が亡くなり、義母は現在98歳であったかと思います。

晩年は義次兄と二人暮らしでしたが、彼女の100年はどんな景色が見えたのか、今になって

ちょっとだけ聞いてみたくなりました。

そして先年、これもすでに亡くなった義長兄の息子が私と遭遇して、挨拶を交わした時に

「ご無沙汰してます」と私。

「いえいえ。ボクは何も・・でもお父さんが生きてたらたぶん、そのままでは済まないと

思いますけどね」と笑う彼。

私も笑い返しましたが、すれ違う時彼の腕を掴んで

「何が済まないのよっ。」と問い返したい気持ちを抑え込むのに苦労しました。(笑)

・・・あんたみたいな青二才に何が判るのよと凄んでみても詮無いことと、私の中の良識が

それを止めました。

 

ある一定の年齢から上の既婚女子には、私のいまの自由は羨ましがられます。

私が私で生きることは、そう容易いことではないのです。

条件と心意気と見栄がなければ、案外難しいことなのです。

 

私に代わって、義理事を果たしに行ってくれる息子と娘には感謝しかありません。。。

 

 

 

 

 


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