お年玉始末記
忙しいのやらお暇なのやら自覚がないままに小正月を迎えました。
最近は「小正月」なんて言葉も死語なんでしょうね。いや、最近でなくても
ずっと前からだったかも・・
もう成人の日は15日ではないし、松飾だの鏡開きだのと言っても、誰もなんの
興味も理解も示さないし、お年玉でさえ、知り合いの子に出会っても簡単には
渡せない世相になってきて久しいです。
かつて、お年玉は子供の特権で、お正月三が日の子供は大人に出会えばお年玉をもらえる。
それは、いつからか我が国で幅を利かせ始めたあのハロウィンのお菓子のようなものでした。
なのに、いつのまにか大人間の闇取引で「お互いに子供いるからお年玉なしにしょうね」なんて
話し合いができたり、よそ様のお子に現金渡すなんて・・などというお上品な一部の意見が
いいとこだけ旨い事浚われたりして、いまやポチ袋なんてのさえ、この世から消滅しょうと
しています。
電子マネーでお年玉あげよう・・なんて厭なこった。
ピピで一万円振り込まれても、貰う方だってなんの有難みも感謝も産まれんでしょ。
いいですか。世のお母さま方よ。
お年玉は子供の正月の特権なのです。親同士の差し引きや、付き合いや、闇取引で
winwinにしてしまうようなものではないのですよ。
あなた方だって幼い頃は、そうやって親戚や知り合いのおじさんおばさんから現金
もらったでしょ。
その時のお行儀がわるくても、お金遣いが下手くそでも、そうやってお金ルールを
少しづつ身に付けたでしょ。
私なんて中二の時、お年玉握りしめて買った、欲しくて堪らなかった本、いまでも本棚に
ありますよ。すっかり古書体になっていますが、それでも背表紙みるだけであの時の
ドキドキ思い出します。
なんて、昭和レトロと言われてもいいですよ。ならあんたには平成ロマンがあるのかと
問いただしたいだけですけどね。
私は年末に娘の子の分のお年玉袋と余分に二つ、三つお年玉袋を用意しています。
でも、ここ何年もその出番はありません。
他の子供たちに逢わないのもそうですが、もし逢ってもここで渡したら、今度は向こうが
いろいろ考えて・・などと思いめぐらせるのがもうめんどくさいのです。
ほんとに人の世は、なにかと面倒なことが多いです。
昔は、なんの苦も無く右から左に成し得たことが、だんだんと煮詰まってきています。
これは思考の膠着なのでしょうか。それとも深淵の追求なのでしょうか。
なんて考えながら、今年も残ったお年玉袋の中身を回収しながら、これでぱっと
何食べに行こうかと、結局、原始本能には勝てない自分を知るのでした。。。