人の世は儚し
イランとシリアの地震は日毎犠牲者の数が増え、奇跡の生還者がニュースに流れる。
これは先の東北の震災でも、阪神淡路の時にも同じでしたね。
でも、アラビアンナイトの物語に出てくるような石造りの建物が、ぼろぼろと倒壊していく
様は言葉を発することも忘れて見入ってしまいました。
浅学の私などは彼の国は石造りだから堅牢でその分崩れたら石礫のでかいのが降ってくるから
ひとたまりもないのかなんて思っていましたら、今になって違法建築だの、手抜き工事だのと。
古今東西ヒトのやることは同じなんだよねと思い返したことでした。
それにしても、内戦を繰り返し難民生活の果てがこの地震ではそれこそ「神も仏もない」と
思うのは私が無信心論者だからなのでしょうか。
キリストさまもアラーの神も仏陀も、誰も守ってくれない世界。それを「無明」と言うのだよと
教え諭したらそれは怪しい新興宗教と呼ばれるのでしょうね。
こんな時に、一円のお布施も献金もいただかなくても・・
そう考えると、世の中は紙一重だなと思います。
幸いにも生を受けていまだそういう苛烈な災害に遭遇したことのない身でこんなことを
いう事すらおこがましいのですが、長く生きてくるとこういうことも言いたくなるのです。
人がヒトであろうと生きることは、存外難しいということをこの年で知るのは、お恥ずかしい
限りですが、長く生きれば幸せの時代は確実に過ぎ去りました。
生まれ落ちる環境が選べないならば、せめて一度のチャンスをお与え下る神様を探すことは
困難でしょうか。
二月はいろいろと考えることの多い月です。短いながら、それはそれで意味のあることなのでしょう。
月の満ち欠けと人の思いは、膨らんだり縮まったりして、時間の中を生きていくのでしょう。
地震で亡くなられた数多の御霊に心からお悔やみもうしあげます。。。