あれから一年

2023年02月24日

ロシアのウクライナ侵攻から一年です。

ウクライナはもちろんですが、支援の国々もさすがに「支援疲れ」が見え隠れしています。

遠く離れた日本でさえそうなのですから隣国のポーランドなどは、疲弊という域まで到達して

いても少しも不思議ではありません。

 

初戦当時からポーランドの姿勢は立派でした。

次々と非難してくる人々を国を挙げて受け入れ、匿い、命と生活を守るための支援を惜しみません

でした。

でも、それにもおのずと限界というものもありましょう。

BSニュースの片隅でポーランドの労働者みたいな男性が「もう支援は懲り懲りだ」と訴えるのも

さもありなんと思う気持ちは私にもあります。

命がけて逃げてくる人々を追い返せるはずはなく、凌ぐ場所と食べ物とは最低限のことです。

100人や200人のことではなく、それは押し寄せる波のように、途切れることを知りません。

その最低限の支援も、お金がなくてはどうにもならないことは子供でも判ります。

国として援助するということは、国税をつぎ込むという事です。

納税者としてこの状態が終わりを見ることなく続くことに不満や不審を抱くことは十分判ります。

 

そしてものの見方をちょっと変えれば、戦争はある意味「鼬ごっこ」です。

相手国が新鋭兵器を装備したら、それに対抗するものを準備する。それも他国の手を借りてでも。

長いもに巻かれろとは言いませんが、そうした鼬ごっこを続けているうちは戦争はなくならないでしょう。

止められないでしょう。

私などが思う前に世界はこの戦争の終結をシュミレーションしたのでしょうか。

お得意のAIを使って、どうすれば収められるか検討していますか。

回答はでてますか。試してみましたか。

それともこんな大事なことは・・AIには任せられない?・・できない??

 

 

戦争は終わり方を考えてから始めるものだとは古今東西の政治家が言っていますよね。

いま当事者がそれを考えないのなら、どう収まるか考えるのは国連やまわりの国の仕事

ではないですか。

武器の支援するくらいなら、収める方法を考えなさいよ。

戦争に金銭的援助の額を決めるなら、難民たちのために自らの国税を差し出す隣国の人々の

ためにもなんらかの援助するべきではないですか。

 

武器の支援は戦争を長引かせ死傷者を増やすだけだと訴えるのは私だけ・・ではないはず。

こうなったら、金銭的解決でも大きな譲歩でも、まずは停戦。

人が死なない状況になってから、次を考えるのではいけませんか。

 

最近テレビニュースに映るウクライナのゼレンスキー大統領とプーチン大統領の顔が

二重写しのように重なって見える気がします。

人の死を乗り越えてまで進軍するのが戦争だと知っている世代が、まだまだこの世界には

沢山いるはずなのに、なんでこんなに長引いているのでしょう。

いっそ、世界中が流浪の民になれば、祖国への忠誠も自国の利益も関係なくなるのではなんて

醒めた大人のお伽話を語りたい気分です。。。

 

 


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