冤罪
先日商店街の地下入り口から上がってきた50代かとおもわれる女性が突然道に突っ伏して
「うわぁ~。ぎゃあぁぁ」と泣き叫ぶ様を見て、「あぁ春だな」と思ったのは私だけ??
街には卒業式を終えた大学生や高校生が闊歩しています。
多くはキャリーをガラガラと引きずりながら、4.5人くらいのグループでスマホを見ながら
ですから卒業旅行に来ているのでしょう。
まだ外国はちょっと不安と、国内旅行にシフトした人たちはきっと私の想像よりずっと多いのでしょうね。
マスクを取る取らないと喧々諤々の議論の末、14日から自主判断に入りましたが、これがまた同調勢力に弱い
国民性だからなのか、外している人はまだまだ少数・・というより殆どいないです。
ただ、今は花粉症対策であったり、私のように寒さ対策であったりもあるでしょうから、本格的に外すのは
きっと桜が終わってからですよ。
なんたって、桜が咲く、散るが大好きな国民性なのですから。
昨日のニュースで「袴田事件」の再審請求が通ったと大々的に報じられいますね。
高齢のお姉さまの熱意と執念の賜物と思います。
加害者家族を支援する本を出している阿部恭子氏によると、冤罪事件は加害者本人よりも
熱意と執念のある家族かそれに準ずる人がいなくては戦えないと記してありましたが、袴田事件の
経緯を見ていると、まさにその通りと思いますね。
あのお姉様の熱い思いと、知識と向上心。そして戦いのエネルギーがあってこその再審請求であったと
私も思います。
比べるのもなんですが、名張の毒ぶどう酒事件のお母さまは慈愛に満ちた、闘う人ではありましたが、
袴田氏のお姉さまに比べると、その強さが違うような気がします。
すべてを巻き込んで、火だるまになろうとも、肉も骨も焼き尽くそうとも、辞さない鋼鉄の意志は
そうそう誰もが持てるわけではありません。
この私の持論に家人は
「そうか。ボクたちがもし冤罪になったら大丈夫やね。戦いの良し悪しは別にしてエネルギーは
あるもんね。」とサラリし言い放ちます。
「そうね。家族の為ならやるわ。では私が冤罪になったらあなたが闘ってくれるのよね。」
「そんなことできるはずないやない。みんなできないよ。その時は、諦めて。」とサラリ。
ちょっと待て!
それってあまりに不条理ではないですか。
私には家族のために戦えと煽っておいて、私には家族の援護射撃はなしですと。
・・なにそれ・・・
一時呆然としましたが、しばらくして我に帰りました。
そうなのです。確かにそうでしょう。
もし私が冤罪着せられたら、それを家族がどんなにフォローしょうと、私は満足することが
ないでしょう。ああしろ、こうしろと塀の向こうから、指示出しまくり・・
家族はやってられんでしょうね。と、冷静に状況の分析はできるのです。
それが判ったら、身を慎んでなるたけそういう場面に引き合わないように、心遣いしながら
これからを生きて行こうと、密かに心に誓いました。
世の中には、まだまだ教えていただくことが多いです。。。