首里城陥落

2019年10月31日

朝、娘からのラインで起こされました。「首里城が燃えてるよ。」

え! 半分寝たままの頭に冷や水をかけられたような覚醒。手元のリモコンでもどかしくテレビを点けると

NHKの画面一杯に、炎に包まれた、午前4時の首里城が映っていました。

これは映画ではなく、まさしく現実の首里城陥落のシーンです。

ついこの間、沖縄から帰ったばかりです。今回は首里城には行っていませんが、ここにはいくつかの思い出が

あります。

初めて沖縄に行ったとき、首里城は形がありませんでした。沖縄戦の破壊の痕こそもうなかったですが、小高い柴山に

石積みの小さなドームみたいな小屋があって、その隣に「資料館」とやけに風情のある看板のかかった小屋。

まさしく、掘立小屋です。

 

一歩踏み入れると、ノロの化身かと思われるような、おばちゃんがすーっと近づいてきて「ここは、首里城の

お宝が保存されておるところさー。沖縄の戦いで失くしてしまったものは多いけど、やっと残ったこれだけを

大事に大事に私らが守っているのさー」と、囁くような声で話はじめます。

周りには誰もおらず、そもそも首里城にこようなんて人は当時誰もおりませんでした。

みなさん、唯一残った守礼の門の前で記念写真撮って帰るのがパターンでした。

 

ノロのおばちゃんは「宝物」と言いますが、どう贔屓目に見ても、ただのガラクタ。屑の山にしか

私たちには見えませんでした。

神事に使うというのに、薄黒く汚れた土偶や、埃が堆く積まれた祭器。どれもが本物のようであり、ほんとの

ガラクタのようであり。。残念ながら浅学の私たちにはさっぱり判りません。

それでも、時折その中のひとつを手に取り、埃が舞い散るのにもかまわず、振り回すノロのおばちゃんの所作には

なんだか気高いものを感じたものでした。

 

「あなたたちは、運がよかったさー。私がいな時は、だぁれもこれが何かわからんさー」と、微笑むのです。

確かにそうでしょう。こんな専門職豊かな個人的ガイドなんてそうはいないですよね。しかも、「ただ」

「ほんとですよね。ありがとうございました。」と、頭を下げる私たちを無視してくるりと背を向けると

ノロおばちゃんはすーっと流れるように出口に向かいました。

あ、一応いくらかは聞いておいたほうがいいかななどと、下世話に勘ぐった私は、すぐに跡を追って出口の敷居を

またぎました。

 

外は日没間近い黄金色の空気が漂っています。

で、左右を見ましたが、いない。

もちろん前方にはいない。たった今、出たばかりです。小高い柴山に遮蔽物はありません。石積みドームの扉は固く閉ざされて

いて出入りはできません。

そんな・・・そんなはずないじゃん。私は連れ(今は亡き当時の夫です)を呼びました。

「いないよ。あのノロおばさん。」

「いないはずないじゃん。」のんびりと続いた夫は出てきて「きれいやなぁ」と外の色に感激して周囲を見回して

「ほんとや。いないね。」と、あっさり。

「え?  おかしくない?  どこに消えたのよ。今の今だよ。」

すると彼は、それこそおかしそうに言うのです。

「君といるときは、いろんなことが起こるから、もう慣れた。」

 

がーん。おかしいのは私?

私だったのか。。。

 

そんな思い出が蘇りました。そのあと、復元した首里城ももちろん見学しました。その時一緒に行った娘の子が

今朝一番のニュースで見て「首里城が燃えている」と叫んだそうです。彼にとっても一大事だったのでしょう。

 

私が訪れた処は、私がその土地を去ったあと、必ずなにか厄災に見舞われるというジンクスはどうやら生きていたようです。

ごめんなさい。みなさま。こんな災害女ですけれど、行きたいところはまだまだあります。どうか嫌がらず、

拒否なんてしないでくださいね。

魔女相談員の彷徨はこうして、まだまだ続くのです。。。

 

 

 


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