死にゆく時に・・
親として長く生きてきますと、その作品である「子」の成果を世に問われることがあります。
こういえば大袈裟ですが、つまり「子供の育て方が悪かった?」と誰かに言われることです。
これは?マークこそ付いておりますが、実はその子育てを否定されている時に用いられます。
私は魔女流子育てが「よい子」を育てたなどとは露ほどにも思いませんが、「私の好きなように育てた」となら
自信をもって首肯できます。
良いにつれ、悪しきにつれ、自分が思うように育てたわけですから、もし子らが世間から糾弾されるような
ことでもあれば、その一端は間違いなく私にあるわけで、それを否定したり後悔したりすることはありません。
ただ事実を、蕭々と受け止めようと思っています。
などと、こんな立派そうなことを常々宣う魔女相談員ですが、今朝ほどはちょっとその自信を喪失しかけました。
わが愚息は、悪名高き就職氷河期に悪戦苦闘しながらも、業界では一流と言われる会社に奉職しています。
もちろんそれは彼自身の努力もあり、会社の理解もあり、タイミングもありでのことでしょう。
ところがこの愚息・・誰に似たのか(もちろんあなたでしょ?←カゲの声)貯金というものができない。
独身の上、切れ端ながら中間管理職の末端にいながら、貯金とは無縁の生活を送っています。
彼曰く「いろんな人と付き合っていると、それはそれでお金はかかるのよ。サラリーマンは必要経費なんて
認めてもらえないからね。」
「そうだね。若いころの人脈はやっぱり宝だかね。」と私。
でも、これこのセリフがダメだと家人は言うのです。
確かに人脈は宝だけれど、生活して貯金してその残ったもので人は付き合っていくものだ。それができないのは
君(私のことです。)が、甘やかしているからだと断言します。
最初のころはこれでよく争いました。人との付き合い方については、家人と私は根本的に違うのです。
こんな不景気を引きずった時代に、私みたいなことを言って人脈作ってなんになる?と言われたら、私には返す言葉が
ないのです。
先々独立すると言っているわけでもなし、新しい事業計画を練っているわけでもなし、確かに人脈は広いほうがいいけれど
そのために、将来の蓄えをつぎ込むなんて馬鹿げていると弾劾されたら、反論はするでしょうが
反論に強力な武器はないのです。
でも今更、そんな人付き合い、てきとーにしといたら。なんてことは、今までの私の全否定になるようで、
言えないのです。そしてそれは沽券というだけでなく、これからをまだまだ生きなくてはならない
息子世代には、先に逝く親よりもむしろ大切なものになるかもしれないという思いが捨てきれないのです。
私が死んでも、子らは生き続けます。その時に「恰好つけてたけど、ブレてたよね。」と笑われたくは
ないのです。
長い寿命を生きる魔女にとて終わりはあります。その時に「やっぱりらしかったね」と言われるのは
生きていく時々のいろんな葛藤を飲み込んだり捨てたりしながらいくしかないのです。
でも、私は「やっぱりらしかったね」と言われながら死にたいです。。。