くたばれアルゴリズム
先日新聞を開こうとしたら一面にふと目をとられました。
「アルゴリズムは無罪か」
ご存じの方も多いでしょうがアルゴリズムとは利用者の好みに合う情報をスマホに表示
させることだそうです。この専門的な理論付けはともかく、私には非常に納得
するものがありました。
PCやスマホでよくあるではありませんか。
ちよっと温泉情報など見たら、次からはどんな画面の片隅にでも、温泉宿や温泉ツアーの
お薦め処がCM的に表示されているなんてこと。
淡路島を検索しただけで、次スマホを開くと淡路島情報が一杯です。別に頼みもしないのに。
これは、我が業種にも言えます。
夫の不倫や浮気を一度検索すると、もう次からは常にどこかの調査会社の名前が
画面の片隅に出てますよ。
検索する人には、お手間がかからずいいかもしれませんが、一方では「調べる」と
いう行為を捨ててることでもありますよね。
自分で調べる・・これってスマホやPCの時代の今、死語ですよね。
「面倒がなくっていいじゃない。わざわざ調べなくても・」と思ってました。
でも、これって調べることを放棄してますよね。
PCとスマホの出現で学生から辞典というものが消えました。私も活用していますが
検索機能は超便利です。
全能のヒトになった気分も味わえます。
その上、その検索すらしなくても、自分がひとつ知りたいことがあれば芋づる式に
ほっといても情報がくるんですよ。
これはもう、便利通り越して怖くないですか?
これこのまま過ぎたら、言論統制なんてお茶の子さいさいですよね。
え? 意味が判らない・・世代ギャップか・・超カンタンということですよ。
考えすぎと言われても、この20世紀にバリバリ生きて生まれた人間ですから、世の中の
変化は身に沁みています。
敬愛する手塚治虫先生の予知した世界になってるじゃありませんか。
そして時代は繰り返す・・あの暗黒の時代に・・
なんて冗談にも考えたくないですよ。
でも、この記事にある意味でならアルゴリズムって、行きつく先は
「言論統制」ではないですか。
直接的ではなく、気が付いたら・・というのはある種ホラーかも。
遅れてきた全共闘世代はこんな時代をうすら寒く感じながら、このブログを
認めているという矛盾。
甘い人間です。
今朝の朝ドラを見ながら「私は牧野富太郎より南方熊楠になりたい」と言ったら
家人はきょとんとして
「そうだね。爽やかという点で比べるなら、牧野先生にはなれないね。」
・・・そ、それは神木隆之介さんのイメージ゛だからでしょ。
こんな下世話な人間が、アルゴリズムを語っています。。。