思索する秋

2023年11月01日

最近立て続けに「ブログ読んでますよ。あれって〇〇(私の名です)が書いてる

んですよね。」とやさしく囁かれて、ちょっと筆先が鈍っていったのは、私にも羞恥と

いうものがあるという証拠でしょうか。

そりゃあ、こんな狭い範囲の遠吠えですから見る人が見たら判ります。

それも承知で己をさらけ出しているのですから今更「読んでます」と言われて恥じ入るのも

何か違う気もします。

ご愛読、ありがとうございますとこの場を借りてお伝えしたいと思います。

 

私と家人との険悪な日々をご心配下さったりも、心してお聞きしておきます。それが

すぐに自らの行動に反映するかどうかは心許ない限りですが。

こういう人間ですし・・(笑)

 

それにしても暑い11月の始まりですね。

温暖化が叫ばれて久しいですが、ここにきてとうとう喫水線を越えたかななどと

感じてしまうような自然破壊が続いております。

もうそろそろヒトの社会も限界なのかもしれません。

物事には行きつくとずるすると後さずりするしかありませんものね。

もう十分に生きてきた世代にはそれでもいいですが、これからの人たちには

それはちと辛い未来ではありますね。

もし、あと100年生きられるとしたなら・・もういりません。100年は長い。

昔「永遠の命がほしい」なんてテーマの映画やドラマが多々ありましたが、子供の

ころはうんうんと頷いて見ていましたが、いまは醒めていますね。

誰がこんなこと望むのよ。回りの知人友人肉親が死に絶えて、新世代人ばかりの

世間になんの魅力がある?

ヒトは思想や感性や情緒を共有する誰かがいてはじめてその存在に感謝するものと

神や太古の賢者は言い残しているではありませんか。

なんて、無信心の私が言っても、どなたのココロにも響きはしないでしょうけれども。

 

あれ?

家人の退廃的思想感が移ってしまいましたか。

なんて思っていましたが、「三時だよ。新しいお店のドーナッツ食べようよ」と

声かけしてくる家人は・・あれ?

治っちゃいましたか。あの悲観的な言い方は・・

秋の日はふつーのヒトを「なんとなく哲学者」に変えるもののようです。。。

 

 

 

 


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