努力の人

2019年11月08日

昨日、家人がボクシング中継を熱心に見ていました。

もともと自分はしないのですが、スポーツというものは何でも好きみたいで、野球から赤ちゃん相撲まで

なんでも見ます。赤ちゃん相撲がスポーツかどうかは意見が分かれる処でしょうが・・

反対に私は、スポーツというものに全く興味がありません。

自分が無類の運動音痴だからと家人は言いますが、それももちろん要因の一つですが、あの一生懸命さに

なんだか胡散臭さを感じるのです。

それも、自分に都合の良い胡散臭さ。有名になればなるほど、漂うその臭気に気持ちが拒否反応を起こすのです。

 

当然、東京オリンピックなんて、待ち遠しくもなんともありません。なんでパリまでみんなで押しかけて

あんなに狂喜乱舞しなければならないのか?

今は、小泉夫人のクリステルさんのあの嘘くさいフランス風日本人の外見で「お・も・て・な・し」が

あんなに称賛されるのか。もともとおもてなしとは、相手に悟られることなく心を尽くすことではなかったか?

誘致した東京都知事の失脚から始まって、競技場の建て替え費用。オリンピックデザインの盗用問題。あげくは

マラソン場所の直前変更。しかも主催地の頭越しで。

ざっと挙げただけでもこれだけの問題を抱え、今時子供でもない限りクーベルタンのオリンピック憲章を鵜呑みにしている

人なんていないでしょう。

「オリンピックと政治は無関係」なんてお題目、誰が信じます?

なのに、上辺だけはスポーツマンシップだとか、アスリートファーストとかなんて・・嘘くさいにもほどがある。

 

ま、オリンピックを語らせるとあと2.3日はかかるのでもうやめます。今日のところは。

 

で、本題に戻ると、なんやらこの試合に勝つと彼、井上尚弥クンは世界一になるんだそうですね、

試合はすばらしかったと、家人は称賛しています。私には判りませんが・・

その井上クンのお父様がネットニュースの中で「天才なんて簡単に言うな。小1から血のにじむような

努力を重ねて今がある。だから努力が天才を超えるのだ」なんてことを仰っていました。

 

これはなかなかに名言です。しかし、努力が天才を超えることを実証した人だけが言える言葉です。

言葉の宿る「言霊」は、それを吐く人の実像と精神で作られると私は思っています。

だから、同じ言葉を私らが吐いても、それは虚言であり、判りやすく言えば「いい恰好しぃ。」でしか

ないのです。

この言葉を受け取る側はそれぞれの事情と感性で味わうのでしょうが、このお父様の言葉に私は痺れましたね。

ボクシングというスポーツを今更好きになろうとは思いませんし、興味が沸くとも思えませんが、これから

彼の名前を耳にするたびにこのお父様の言葉を思い出すでしょう。

彼はいいお父様に育てられましたね。子を持つ親として、敬意を表します。。。

 

 

 

 

 


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