親の選択

2024年01月15日

この厳しい寒さの中、ニュースでは北陸での災害関連死についての注意喚起が

何度も流れています。そりゃそうですよね。地震のあとがこの雪では、どう命を

永らえるかは喫緊の問題です。

中学生は集団で別の地域に非難するみたいですね。言葉は不穏当かもしれませんが

これも「集団疎開」というものでしょう。

これも賛同する声、否定する声さまざまです。本人も親も。

 

同じようにニュースを見ていた家人が私に

「キミが親ならどうする?」と聞いてきました。

「私は本人に任せるわね。いいも悪いも、うちの子たちは私の意見が絶対と思っているから

私が何か先に言えばそれに従うはず。でももう中学生なんだから自分のことは自分で決める。

それで子供の決めたことには一切の意見は挟まず、支持して動く。」

「うーん。一切の意見挟まず、支持するってとこは疑問だけど、そうなのか。」と

家人は腕を組みました。

 

「でもね、私の意見で・・と言うくだりをなしに言うなら、私なら行くなと言うかな。」

「どうして?」

「うーん。上手く言えないけど、そりゃあ地震に遭遇したのは、とても不運でもしかしたら

命を落としたかもしれないし、大切な人を亡くしたかもしれない。それは人生の中で

最上級の不運で不幸で災いだけど、これは誰もが経験できるものではない。こんな経験

したくないって言えばそれまでだけど、しょうとしてもできない経験だし、こんな現実を

乗り越えたなら、経験してない人にはない決定的な何かを得られるかもしれない。

そう思ったら、親の傍にいて、この苦難と復興をその目でその身で体験することは、

決して無意味ではないと思うのよね。」

これを、当事者でないから言えると、切られればそれまでですが、私は本当にそう思っています。

人生には、自分ではどうしょうもないことが起こる。大小は別にして。

 

地震や天災はその最たるものですよね。

それをどう処していくかは、その人間の器量の大きさを決めるような気がするのです。

若い時の苦労は買ってでもせよと昔の人は言いましたが、私はわざわざ買ってまでする必要は

ないと思っています。しなくていい苦労まではすることはありませんが、避けきれない苦労を

どう乗り越えるかは自分の人生にいかに役立つかは年がいけば判ります。

 

「あなたはどうなのよ?」と家人にふってみると

「ボクは・・避難させる。苦労させたくない。」

・・やっぱりこの人は歩き始めた子供の前を箒で掃きながら歩くタイプのようです。

 

こんないくつもの親がいて、子供は親もパーフェクトではないと知るのでしょうか。

いやもう中学生なら知ってますよね。自分の親が「案外平凡な人間であることを」

子育てに成功も失敗もありません。子供は自らの鑑です。

だって、そんな自分が育てた子なのですから。。。

 

 

 

 

 

 

 

 


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