災害女、復活

2024年04月20日

すっかり夏の陽気が続いていますが、先日の夜中の地震には驚きました。

その時私はベンハーの吹き替え版を見ていて「やっぱり吹き替えは納谷五郎さんよね」などと

一人で悦に入っておりました。

ここで、まずベンハーについてひとくさり・・

私がベンハーを初めて見たのは中学生の時です。もちろん何回目かの再上映版ですよ。なにしろこの作品

1959年の制作ですから、いくらなんでもタイムリーには無理。例え400年生きながらえている魔女おババと

いえど、現実との齟齬はあります。

 

初めて見た時、感動に震えましたね。

そのあまりの抒情的で倫理的で歴史的でなにより壮大なロケとセットと人の数に・・

あまりに凄すぎて、その時代に行って撮ったんじゃないかなどと半ば本気で思いました。

ガレー船のシーンにしても、CGもなにもない時代です。ちゃちなセットではこの世界観はぶち壊し。

マケドニアとローマの海戦ですもの、それはそれは迫力がありました。

円形コロシアムでも騎馬競争のあの長いシーンの行き詰る迫力。もうどれをとっても、生来の映画少女

(このころの私は少女と呼んでもいいと思います。生まれながらのおババはおりません)の

心を鷲掴みにしたのは当然のことです。

 

当時の私は、ちょっと変わったヒト(それはいまでもそうですが、当時はそれが目立っていたのですよね)

と認識されていたのか、つるむお友達というのがいない女子中学生でした。

それがなんの拍子か、たまたまベンハーを見に行った映画館で同級生に会い意気投合。終わった後、

熱く語り合った仲になりました。

彼女もちょっと変わり者で(まあ類は友を呼ぶですね)孤高の人でした。ただ彼女は当時の漫画家、ちばてつや

さんとか、さいとうたかおさんの劇画の人物を描かせれば抜群に上手いのです。

右向きも左向きもなんなくサラサラと書いてしまう腕前でした。

そういうことでは、学友たちは彼女にそれを書いてもらうため、周りに集まることはありましたが、

それ以外は寡黙で、自分から話の輪に入るというタイプではありませんでした。

もちろん私も、存在は知っておりましたが、話したことは殆どないという程度です。

 

その彼女とベンハーで意気投合するなんて・「映画ってほんとにいいですね。」と昔の流行りセリフが

思い浮かびます。ご存じの方も少ないかとは思いますが。

その頃はロングランで一か月くらいは上映していました。何回かは彼女とも行ったのですが、終わった頃に

彼女に何回行った?と聞いて「11回」と答えられた時は、悔しかったですが完敗しました。

 

そんな思い出のベンハー。あまりに好きすぎて今まで、吹き替え版なんて見る気になりませんでした。

でも、一度くらいはと思い返しWOWOWで放映されるのを機に見てみようと。

そして満を実してのあの夜だったのです。

 

すみません。脱線が長くて・・

ベンハーの母と妹が疫病に侵され死の谷にいると知らされた時、あたりの静寂を引き裂くように

地震警報が鳴り響きました。

確かに、あれが夜中に鳴り響くと、心臓に悪いです。あれだけでショック死する人がいても

不思議ではありません。

「え・なにこれ?」

ところが、災害ポケしている私の頭は、この音に反応ができません。

なに、なにと思っているうちにグラグラっときました。案外長い。

寝室ではヒメ(飼い犬の老プードルです)がキュインキュインと二声。

家人は三階で寝ています。が、物音ひとつしません。

ラインがピピと鳴って、娘からこっちはなにもないけどどお?と・・

やっぱり娘です。毒親でも案じる気持ちはあるようです。

「うん。何もないよ。たぶん。夜だから外までは見に行かないけど。」

「そうだね。夜は出ないほうがいいよ。パピ(娘は家人のことをこう呼んでいます)

は?」

「寝てるんじゃない。物音ひとつしないわ。」

「こんな時に、よく寝れるよね。」

「こんなもんよ。災害がきたら、例え家の中に二人でいても死ぬときは一人よ。絶対」

娘はこれには返信せず、息子とのグループラインに「こちらば無事です」と入れていました。

後日談ですが、息子もこのラインに既読が付いてのは二日後。

どっちも役に立ちそうにありません。期待もしませんが。

 

ニュースを見ると、豊後水道あたりはかなりの揺れのようです。

ベンハーどころではありません。でも、ここまで見たら見たい。

あのキリストの奇跡も見たい。

しばらくは地震情報を見ていましたが「ごめんなさい。被災者の皆様」と自分勝手に謝って

続きを見ることにしました。

 

翌朝になって、しみじみ思ったのは豊後水道といえば先日、私はそこを通って佐賀から帰ったばかりです。

かつての私は「災害女」の名をほしいままにしていました。

私の行く先、その前後にはその地は必ずなにかの災害を受けるという、なんともはた迷惑な現象。

古くは越前トンネルの崩落。日本坂トンネル。阪神大震災。姫路のスーパー火災。雲仙噴火、

鳥取地震・・数えあげたらきりがありません。

どれも私が行く前か、行った後(こっちが断然多いのですが)に、災害に見舞われるのです。

しばらくはないなと思っていた矢先のこの因果。

・・・本当に被災地のみなさまには申し訳ない。

さりとて、自分の力でどうすることもできず、前もって公表するなどという勇気はなく、

なんて思っていると

「そんな力あるわけないでしょ。あれば今頃こんなとこにいないでしょ。」と

地震に起きさえしなかった家人は言うのです。

そうですよね。こんな人間もいるのですから、すごく身近に。

ある意味この、ノーテンキは救いです。

そう思いながら、次の旅計画は進みます。

 

次はどこかって??

それは終わるまでは秘密です。。。

 


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