本音

2024年05月05日

2月に父方の叔母が亡くなりました。享年94才ですから充分に大往生と私は思いますが

この叔母には息子が三人おります。

 

私とは年の近い従兄達で子供時代はよく遊びました。

夏休みには一人っ子で鍵っ子の私のために・・かどうかは今となっては判りませんが、

三人が我が家に泊まり込んで過ごしたものでした。

みんな貧しくて、元気で、それが世の中の普通の時代です。

 

もちろん息子たちはみんな元気で上の二人は結婚もして子供もとうに成人しています。

孫もおります。

一番下が私と同い年でバツ2で、老いた両親と三人で暮らしておりました。

叔母が若い時から夫のギャンブルに泣かされた人生を送っていたことは私もよく知っています。

私の子供時代に夜中に我が家を訪れて離婚の相談していたことは1回や2回ではありません。

その都度、私の父が「お前も親が離婚して苦労しただろう(父の母親は子供四人連れて離婚

しております。原因は母親にあります。)子らにそんな思いさせたくはなかろう」としたり顔で

諭して婚家に帰しておりました。今思えば、全く余計なことをしたものです。

事なかれ主義にもほどがある。

 

叔母の夫、今は義叔父と呼ぶのだそうですね。

義叔父は、商売していたせいか、そういう性格なのか、陽気で面白いおじちゃんでした。

私を含めて、周囲には。

特に私は母がその義叔父とは幼馴染で、子供時代のエピソードをいやというほど聞かされていますので

その義叔父の陽気さが好きでした。

 

そして幾星霜。

叔母が亡くなって、三男従兄が言うには、義叔父はギャンブルに負けると妻や子に当たり散らし

殴る蹴るのあと、商売の売上金をもって出るような、トンデモ夫だったらしいのです。

昔の夫ですから、妻子に暴力はそう不思議な話ではありません。

しかし、殴る蹴るはその時代にもそうあるものではありません。

うちの父も母を殴りましたが、さすがに蹴ることはありませんでした。

だからマシとは思いませんが・・

 

叔母と長男がその餌食のようで、祖父宅に逃げていた次男とまだ幼かった三男は彼ら二人に

比べると、その被害はずいぶん少なかったと言います。

昔、うちの父と母がその長男をわが子のように溺愛していたのは、その不憫もあったのかと

今になって思います。

 

そんなことがあって、現在は長男と叔父叔母は絶縁状態なのだそうです。

もう、お互いに何があっても知らせてくれるな。知らせないと言い渡したそうです。

それは叔母の葬儀の時に知りました。

葬儀は次男夫婦が仕切りました。

 

親戚とはいえ、今はもう全くの別の家庭ですし、今更口出しすることしありませんが、

何十年もの間にも、知らなかったこと、今初めて知ったことはあるものだという感慨が

いま私にあります。

 

今、三男従兄は義叔父と二人で暮らして、その義叔父の三度の食事の世話をしています。

彼はそれを嘆くのです。

「今までは、母がいたからと思ってやっていたけど、なんでオレがあいつ(彼は父親のことをそう呼びます)の

メシの支度しないといけないんや。母親のことをあんなに苦しめて、殴ったり蹴ったりした男に、

なんでや。」と私に訴えます。

・・このマザコンめと思う気持ちはありますが、彼の気持ちが判らないこともありません。

 

「親子やからね。最期の始末はつけてやらんと。それは仕方ないと諦めなさいよ。

もうそう長くはないよ。あと5年。」

「5年もか・・。無理や」

 

父親に早く死ねと口にする子は哀れです。

言わせる親にも一抹の責任はあるのです。今なら私にも判ります。

でも、これを理解するには、やはり長い年月が必要なのです。

若い時には絶対に判らない、寄り添えない感情です。

 

この話を娘に零すと

「〇ちゃん(娘は私を名前で呼びます)は、幸せやね。」

「そうだね」と滅多にない全面同意の私。

「好きに生きて、好きに遊んで、同い年でも△△ちゃん(三男従兄のことです)と

比べたら天国やんか。遊び放題。」

・・・むっ、そこまで言うか・・

とは思いましたが、今回だけは同意しておきましょう。

そして、私を煩わすことなく旅立った父と母に感謝しながら今夜は眠りましょう。

もう一度、あなたの子に生まれたいとは願わないけれど・・・

 

 

 

 

 


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